上海〜成都


僕の宿、浦江飯店には、一人の
日本人のチビッコがいました。名前は、さやか。廊下をキックボードでスイスイ走っていて、まるで、スピード(SPEED)のような女の子です。

両親は、お仕事で浦江飯店の一室に部屋を借りてオフィス兼自宅にされてます。僕は、そのさやかと仲良くなったので何回かその部屋にお邪魔する内に
ご家族ともすっかり仲良くなっていました。

 そのさやかは、こっちに来てから数ヶ月の間に、もう中国語をマスターしてしまったと言います。なので、
12歳にも関わらず飛び飛び級で、日本人が沢山留学してる大学に編入する事になったらしいのです。

ある日、ご家族とさやかが大学に下見に行くとの事だったので、あんまりにも暇だった僕は、強引についていく事にしました。


まずは、大学の事務室。それから教室。ここには、これからのクラスメートになるであろう大学生達がいっぱいいました。

ご両親は、その大学生達にあいさつをしています。まだ、あどけない12歳の娘が、はたして本当に大学生達とうまくやっていけるのか、レベルの高い大学でやっていけるのか、やはり心配されておられるのしょう。

そして、そこに、なぜか
真っ赤な他人の僕もいます・・・。12歳の天才少女と、ご家族と、真っ赤な他人のにいちゃん・・・。エグザイルとグレイよりも違和感あふれるなコラボレーションです。

しかし、まぁ、普通に考えると、
兄貴に見えます。お父さんと、お母さんが皆さんにごあいさつしてるのに、兄貴がクールにすかしているのは、よろしくない絵です。

なので、

「しゃーかを宜しくお願いします。ペコリ・・・。」

と、僕も一応ごあいさつをさせてもらいました。
まさか、向こうも、そこに
一昨日前に会ったばかりの他人が混じってるとも疑う事もないでしょう・・・。無事にごあいさつが終了しました。


そんなまさに、家族同様のお付き合いをしている僕にご両親は、無理くり着いて来た僕に、結構高い、くるくる寿司をご馳走して下さいました。

それからも、出発まで、僕はこのご夫婦にお世話になりっぱなしでした。


            <上海の町並み>



そして、出発の日の夕方を迎えました。そのご家族と、また、そこで知り合った人たちに、別れを告げ、僕はタクシーで一路、駅へ向かいました。

チベット宗教への憧れを胸に秘め僕の旅は再び動き始めたのです。

でも、列車で次の目的地成都まで、なんと所要
48時間もかかるのです・・・。丸二日!

長い・・・!!

今までの人生で、
48時間という単位を耳にした事がありません。チベットまで行かなくても、48時間もボーッっとしててたら、ある意味、無の境地に達し、ちょぴり悟りをひらけちゃうような気さえしてきます。

列車は、
硬臥を取っていました。硬臥というのは、2等級の寝台です。そのベットは、一回寝返りがうてるかどうかの狭さです。硬臥と言われるだけあって、硬い6つの簡易ベットが向かい合っています。

僕が乗り込んだ時には、すでに
中国人が各ベットに寝ていました。

列車にはお湯が置いてあると教えてもらっていたので、事前に買っておいたカップラーメンにお湯を注ぎ食べる事にしました。そのカップラーメンに、なぜかセットでついてくる、まずいまずい
魚肉ソーセージをかじり、知らずに買ってしまった、この激辛味にヒーヒー言いながら、夕食を済ませました。

車窓から外を眺めると日がとっぷりと暮れていました。さっきまでとても温かい家族に囲まれながら、ワイワイ楽しく過ごしていたのと、不安が重なって、一気に
寂しさが込み上げてきました。

電灯が消えているので、暗くて本も読めないし、寝るにはまだまだ早いし。

ベットでボーっとして、寝っころがっていると、なにやら上のベットからポロポロポロポロ、と降ってきます。

なんだろうと思い、落ちたものを拾ってみると・・・、


ひまわりの種・・・!!


中国人は、ひまわりの種を食べます。食べる部分は、中の白い部分だけです。なので、カラは捨てるのです。それが、2階だか、3階だかのベットの住人が下に捨てているのです。

「ハムスターのエサを食べる中国人って・・・。」

初めは、信じられなかったのですが、後日、食べ始めると以外に美味しくて、食堂に言っても、サービスで出てきたりもしますし、ビールのおつまみにも、結構合うのです。

たおたん心と秋の空


「人間様のつまみを食べるハムスターって・・・。」


それにしても、なにもベットの上で、食べて下に捨てる事はないでしょう。
その外のカラを歯で割る
「パキッ!」っていう音と、目の前を
フラフラ〜っと縦断して、ポトッっと落ちるカラが、気になって、気になってイライラしてきます。

バキッ!フラフラ〜・・・。ポトッ・・・。

「この〜木なんの木、気になる木〜♪」の木よりも気になってきます。

バキッ!フラフラ〜・・・。ポトッ・・・。
バキッ!フラフラ〜・・・。ポトッ・・・。
バキッ!フラフラ〜・・・。ポトッ・・・。
バキッ!フラフラ〜・・・。ポトッ・・・。
バキッ!フラフラ〜・・・。ポトッ・・・。

気になって気になって仕方がありません。
叶姉妹の職業よりも気になってきます!




・・・・・・・



でも、そんな中でもどうやら眠りに着いたらしく、気が付けば明るい光が車内を射していました。
朝を迎えたようです。

寝転んだまま、目を開けると、僕の狭いベットに
二人の中国人が座ってます!

なにしてるん!?自分のベットに帰って欲しいんですけど・・・。ただでさえ、狭い簡易ベットなんで・・・。

超小心者の僕は、
薄っすら目を細目で開けながら、しばらくこの二人の動向を観察していました。30分近くたっても帰ってくれる気配がなく、それどころか、お茶をすすって和んじゃっています・・・。

まさか、このままでは、狭すぎて寝がえりも打てず、成都につく頃には床ずれになってしまうんじゃないか?
そんな不安がよぎります。

勇気を出して、
せき払いをしてみる事にしてみました。露骨にしてしまうと、残りの40時間弱を気まずい物にしてしまうので、サザエさんがノドにドラ焼きを詰まらせる感じの声で、

「僕、もうすぐ起きちゃうよ」

的なニュアンスを含む事が出来れば、
グッジョブです。

「ぐっ!っぐん!!んー。」


「・・・・。」



効果無し・・・。





今度は、起き上がり、沈黙を作り、気まずい空気を作りだす作戦を思いつきました。

僕は、ムクッと起き上がり、ベットに座りました。

しかし、そこで、気付きました。上のベット二つが折りたたまれています。

そうです。
2階と3階のベットとベットの隙間が、ほとんどないので、座る事が出来ず、寝るためだけにあり、昼間は収納して1階のベットに座るっぽいのです。
ただ、向かいのベットは2階でまだゆっくりと眠ってらっしゃるのですが・・・。

でも、そうとは、頭で理解出来ても、やっぱり気まずい事には違いありません。それに、せっかくの寝台なのに、なんで狭いベットに三人座ってなくちゃならないのでしょうか・・。

もし、僕が2階や、3階だったら寝転がっていられたのに。こんなきまづい空気ではたして、残りの
40時間も過ごせるのでしょうか・・・。

それからというもの、また激辛カップラーメンとまずい魚肉ソーセージの
中華のフルコースを堪能してなんとも、窮屈な時間を過ごしていました。







(一時間後・・・)





「謝〜謝、謝謝〜!!はっはっはは〜」

「アイヤ〜!」

僕は、おっちゃんに
トランプのスピードで連戦連勝していました。


と、いうのも、隣りに座っているおっちゃんがトランプを持っていて、上に寝てるおねえちゃんが英語が話せたので、通訳してもらいスピードのルールを教えてあげて初心者相手に、
大人気なく全力で爆勝していたのです。

「これは、なんて名前なんだ?」

とおっちゃんが聞いて来たので、しばらく考えた後、

「速度」

と筆談で教えてあげると、なるほどー、とうなずいていました。もしかしたら、中国でこれを機に広まっているかもしれません。

速度もそろそろ飽きてきたので、向かいの2階ベットで、寝てるお兄ちゃん以外5人で
神経衰弱をすることにしました。
これは、非常に盛り上がります。こんなゲームは中国には無いようで、みんな本当に頭を抱えながら熱中しています。

僕は、隣りのお兄ちゃんが、カードを間違えてめくって、それが僕にとってのヒントになったら、

「謝謝〜♪」

と、からかっていました。なんども繰り返して言っていたので、みんなも僕の真似をして、隣りの人が間違えて、カードをめくると

「謝謝、謝謝♪」

と言い出し始めました。今まで、わがままな中国人の口から謝謝という言葉を聞いたことがなかったのですが、やっぱりこれが、
最初で最後に聞いた謝謝になりました・・・。

このゲームは、なんて名前?」

とまたまた、おっちゃんが聞いてきたので、さっきと同じように筆談で、

「神経衰弱」

って書いたら、みんなが
爆笑し出しました。僕らは、ちっちゃい頃から意味も判らず、使ってたこの言葉ですが、よーく考えると、
結構リアルなネーミングです・・・。

ちょっとアホな隣りの兄ちゃんは、僕の番で、どれをめくろうか迷っていると、これだこれだ
「俺、知ってるんだ〜」的な感じで指差してくれます。

神経衰弱を続けていると、いつの間にか、周りにゾロゾロと
10人くらいの大野次馬群が寄ってきています。

おもわず、

「君らは、君ら10人でトランプした方がいいんちゃう?」

って言いたくなってしまいます。
そして、その野次馬も、どれをめくろうか考えていると
「俺、知ってるんだ〜」的センスでこれだ、これとカードを指差してきます。

「いや、だから、君らでトランプしろって・・・!!」


そんな感じで残りの車内生活、
30時間近く、寝ても覚めてもトランプに明け暮れました。

その合い間に、自己紹介をしました。僕は、大学の第2外国語で中国語を一応取っていたので、名前だけは中国語で言えます。

初登場ですが、僕の本名は、
林 新吾 と言います。なので、中国語読みをすれば、

リン シンウー 


となります。中国語の発音は非常に難しく、「マ」という言葉だけでも四つの発音で四つの意味になります。

ちなみに、
「マー、マ、マーマー。」で、
     
母が、馬を叱る。と言う意味になるのです。話はそれてしまいましたが、僕は、彼らに、
リン シンウーと答えました。

すると、なぜか、みんなは
腹をかかえて爆笑しだしました。僕は、何がおかしいのかさっぱり判りません。発音が悪かったのでしょうか?

すると、おねえちゃんが、笑いで顔を歪めながらも、僕に訳を説明してくれました。

実は、中国人で
とっても美人なアイドルの歌手で、

リン シンルー 

という人がいるらしいのです。

日本に中国人の兄ちゃんがやって来て、

「私ノ名前ハ、藤原 紀ア デス」

っと言ったら、絶対に
笑ってあげられる自信があります・・・!!

と、僕らは、とっても盛り上がりとっても楽しい時間を過ごしていました。  

が、おねえちゃんが思いもかけず、

「あなた南京事件知ってる??」

と、いきなり楽しい空気をぶち壊す、
超タブー中のタブーを、口にしてきました。

これは、
デンジャラスな事態が始まりそうな香りが、プンプンしてきます。僕は、答えました。

「うん、知ってるよ。」

「それについて、あなたは、どう思う?」


周りの4人も興味深々で僕を見ています。この場では、もう僕の言葉の重さは、
外務省、日本大使以上なのを感じます。

この人達はこれから、僕の言葉を日本人の意見として思い続けるでしょうし、もしかしたら、もう僕と二度と口をきいてくれなくなるかもしれません。

「別に、な〜んとも思わないよ・・・。」

彼女達は、ずっと真剣に僕を見ています。僕は、続けました。

「なんで、そんな事聞くの?僕らは、アメリカに原爆を落とされたけど、誰一人としてそんな事をアメリカ人に言わないよ!」

「・・・・。だって、原爆は、たった一瞬の事でしょ。南京は、一人一人無残に殺されたのよ。」

「たった一回ボタンを押して(爆弾を落として)、何十万の人を殺した・・・。ボタンを一回押すだけで!!それが、どれだけ恐ろしい事か!!」

おねえちゃんは何も言わなくなりました。僕は、続けました。

「君は、南京事件のとき生きてたの?」

「いえ。」

「でしょ。僕も生きてない。君は何もされていないし、僕は何もしていない。だから、僕は君に謝らないよ。

何もしていない僕が、何もされていない君に謝ったら、何も知らない50年後に生まれてくる子も、君達に謝らなければならいでしょう。一体、いつまでこんな関係を続けるの?

僕は、ただ、君達と仲良くなりたいと思って、ここ来たの。
それに、日本人、中国人なんてことは、全く関係無いと思ってる。
僕らは、お互い地球の上に住んでるから、言ってみると、僕らはお互い地球人なんだ。地球人同士として仲良くしようよ。」


「そうね。」

二コリと微笑みながら
、彼女は、4人に中国語で訳してくれました。どうやら彼らも、納得してくれたみたいでした。

後から、考えてみると、
悪意のこもった質問なんじゃなく、反日教育の中で、学校でただそう習ったから興味本位で聞いてみただけなんじゃないかなぁって思いました。


そして、列車は
長い長い48時間を経て、三国志の劉備元徳が居城を置いていた街、成都に着こうとしていました。


僕は、
降りてからの移動手段の事を全く考えてなかったので、地球の歩き方を読んで、ホテルまでの行き方を調べていると、おねえちゃんが、

「旦那さんが、駅に迎えに来てくれるからホテルまで送ってあげる」

と言ってくれたので、僕は、好意に甘えさせてもらうことにしました。


やがて、列車は成都駅に到着し、迎えに来てくれていた車に乗せてもらうと、そこには、旦那さんとお姑さんが乗っていました。
終始、お姑さんは、
僕をもの珍しそうに見ていましたが、やがて、ホテルに到着し、お礼を言って車に降り別れを告げ、僕はまた一人になりました・・・。




成都、そしてチベットへ・・・



成都についたその翌日のチベットまでのツアーを予約しました。

チベットは、正式には飛行機以外では入れません。それは、空路でないと、
パーミット(入域許可証)が降りないからです。なので、チベットに行こうと思ったら、ツアーに参加しなければならないのです。

その後、プラプラしてると日本人のお兄さんと知り合い、夕食に、二人で
四川名物の麻婆豆腐を食べに行く事にしました。
麻婆豆腐の名前の由来は、麻さんというお婆さんが作った豆腐だからだそうです。

カップラーメンでさえも辛くて、ヒーヒー言ってた僕には、恐らく、四川の麻婆豆腐は、食べ物というよりも、
劇薬に限りなく近いと思われるので、

「不要辣。」(辛いの要らないよ)

と、ちょっぴり中国語が話せるお兄さんに、言ってもらいました。

そして、出てきた麻婆豆腐を見ると、とっても美味しそうです。

「いっただきまーす。」

と言った直後。

ビリビリビリっと舌が震え
ました。か〜ら〜い。しかし、これは、以前
アメリカで食べた激辛タバスコとは、違う辛さです。あの時は、火をふきそうな感覚でしたが、今回は舌がシビレてきて、麻痺してきます。

だんだんと汗を噴出し、だんだんと
舌のビリビリケイレンが増しながらも食べつづけると、どうやらちっこい山椒の粒のようなものが、この劇薬の元凶だと判りました。

それからの、僕らは、それを一粒、一粒、摘出しながら食べるというとっても地味な夕食になってしまいました。
しかし、残念な事に、それを取ってもまだ、
辛くて、他の料理の味も判らなくなってしまいました。


その翌朝、僕は、
陽も登らぬ早朝から、ホテルを出発して空港まで向かいました。いよいよチベットに向かうのです。

そういえば、5,000円程払ったパーミットは、
パスポートに添付されるわけでもなく何かを記入するという事もなく出国審査を通り、飛行機に乗り込んだので、一度も影も形も見る事がありませんでした。
ただ単に、
「中国政府がぼったくってるだけだ」という話がグループ内に広まってきます・・・。

機内では、起床が早くて、2時間ほどしか寝てないので、爆睡・・・。


そして、飛行機が
ラサ(チベットの首都みたいな街)に到着しました。
ついに来たのです。
夢にまで見た、チベット。

でも、あんまりにも眠すぎて、宿までの送りのバスの中でも爆睡してしまいました・・・。

なにやら、バスの中がザワザワしてきたので、目を開けて車窓に目をやると、


「ポタラやぁ。」


セブンイヤーズ イン チベットに出てきたあの
ポタラ宮殿です。



ダライ・ラマが住んでおられた
ポタラ宮殿です。



僕は、体がしびれる様な感覚に、襲われました。
この感覚は、昨日の
麻婆豆腐に続いて、二日連続です。

ちなみに、チベットは中国語で西蔵と書くので、「セブンイヤーズ イン チベット」は、
「七年西蔵」って書くらしいです。
ちょっぴりダサい感じがしますね。

その後、バスは宿に到着しました。一応、ツアーになっているので一泊目だけ宿が着いていて、後は、お好きにどうぞという感じですなのです。

さっそく僕は、部屋に荷物を置くために、部屋へ向かうと中から、
変な音が聞こえてきます。

部屋に入ってその実態を確かめて見ると、





ブゥォ〜ンッ!!ブゥォ〜ンッ!!





部屋中に、
何十匹は
、いるだろうかと思われる、ハエの大群が、円を描くように飛び回っていています。
その光景は、天井に
タイヤが浮いているかの様です。

「なに・・?これ・・・、
 チビクロさんぼの虎の、ハエバージョン・・・?


生まれて初めて見る、この
世界びっくり仰天映像に、僕は、ボー然としてしまいました・・・。

もしかしたら、このまま放置しておくと、
バターならぬ、黒蜜でもできるんじゃないかという馬鹿な想像をしながらも、不潔感に満ち満ちたこの状況に絶えられなくなり、

このハエの大群の中を走り抜いて、窓を開け、このハエの軍団を追い払いました。

「シッ!シッ!シッ!シ!!」

こんなハエの大群を呼び寄せる事が可能な程、
汚い物がこの部屋にあるのかと思い、探しましたが、それらしい物は、どこにも見つかりませんでした。

後から、気付いたのですが、この宿の共同便所の便器が
ただの壺になってるので、ハエが沢山たかってくるのかもしれません・・・。

それにしても、
もの凄い数のハエでした。ハエのあんなチームプレイも初めて見ました。さらには、あのままのチームで移動して、一体、どこへ向かっていったのでしょうか・・・?


今日の朝は、とっても早かったので、本当は、ここでどっと、ベットに倒れこみたかったのですが、同室の香港人の郭さんとイタリア人に誘われてしまったので、いよいよ
憧れのポタラに行く事にしました。

今まで、割愛していましたが、このイタリア人とは、
妙なご縁があるのです。それはというと、


浦江飯店の9人部屋で同室になり、

成都までの列車も号車は違いましたが、たまたま、同じ便で、

たまたま、
成都のホテルでも一緒になり、彼の希望で同室になり

一緒にツアー会社に申し込み、

このホテルでも、
同室という

切っても切れない、腐れ縁なのです。


初めの頃は、僕の大好きなサッカートークで盛り上がっていたのですが、そろそろ話題と、僕の英語のボキャが底を尽いていたので、出て来る単語は、
見た景色や、ものを口に出すだけ・・・。

「ビューティフル」

「グレイト」

と、
結婚50年目くらいの夫婦のような寂しい会話でした。それに比べて、郭さんとは会ったばかりで、判んないような難しい単語は、漢字で教えてくれるのでとっても助かりました。


話は、それてしまいましたが、
それは、それは、ポタラはすごかったです。



壮大、ロマン、神秘そんな
例えふぉーえぐざんぷるが、ぴったり当てはまるでしょう。

なんと、部屋が
1000個以上あるらしいのです

らしい・・・って所も
いい加減で、いや、謎のベールに包まれていて、超神秘的です・・・。

僕が捜し求めて物・・・場所・・・。

それは、ここだったのかもしれません。




仏教の聖地、ラサ・・ポタラ宮殿




そんな、
深い、深い、感慨を持って宿に帰りました。

部屋に入ろうとすると、



再び、あの音が・・・聞こえてきます・・・。





ブゥォ〜ンッ!!ブゥォ〜ンッ!!




「・・・・。ま、また、来ちゃった・・・の・?」



眠くて、疲れもピークに達していた僕は、もう出て行ってもらう気力も無く、
この轟音を子守唄にベットに身を沈めました・・・。