はじめに



中国は、僕にとって
初めての一人旅の地でした。
どういう経緯でチョイスしたかと言うと、
チベットの宗教に触れてみたかったからです。
 僕は、自他共に認める
超アンチ宗教派なのです。未だに浄土宗や浄土真宗などの昔からある宗教と、新興宗教の区別もつきません。坊主も教祖も、信者からただ単に金をボッタくっている人に見えて仕方ないのです。
そんな僕は、おじいちゃん・おばあちゃんの法事にも出ず、家族に呆れられています。

そこで、本場の本場
宗教の聖地チベットに行って何かを感じてみたい髪の先から骨の芯まで、全身を仏教に染めながら仏様を死ぬまで疑う事無く真摯に生きてらっしゃる方々を見たらなにか違ったものが見えてくるんじゃないか。

そんな想いと期待からでした。

それと、もう一つ、

・僕は自他共に認める
ラーメン馬鹿。  

餃子の王将狂

三度の飯よりラーメンが好き。 

王将を
世界十大レストランに推奨したい。 

餃子を
世界3大珍味にランクインさせたい。

常日頃からそう思っている僕は、本場の中華を食して本当に
「食が萬里(ばんり)を超える」かどうか検証してみたくなってしまったのです。

でも、本当は
お母ちゃんのご飯以外は苦手で、繊細かつデリケートな僕は、ちょっぴり汚い屋台や食堂には、やっぱり抵抗があり・・・。
 なので、
お箸入りのお箸箱バックパックに持参することにしました。
 一歩、また一歩と歩みを進めるたびに
リュックのお箸が、ガチャガチャとまるで、通学途中の小学生の様な音色を奏でながら、僕の旅は始まったのです・・・。



上海


飛行機で降り立った、上海。
 宿は、
唯一の安宿、浦江飯店(プージャンファンテン)に泊まろうと調べていました。いや、ドミトリーはここしか無いと言っても過言ではありません。ですが、過去にはアインシュタインチャップリンという伝記に出てくるすごい人達が泊まった事があるという素晴らしいホテルです。

そこへ、向かうべく空港から
バスに乗りました。
運賃は、
一元(15円)。そろそろ降りようと思い、財布をのぞくと2元札しかありません。残念ながら中国語が全く喋れないので、僕は2元札を取り出し、運ちゃんに見せて、

「これしかないよ〜」

と困った顔を見せてみました。
言葉が判んない時は、ジェスチャーに限ります。

すると、運ちゃんはジェスチャーで

「ここに入れろ!」


運賃箱を指差しました。
まさか、
イッツ オートマッチック にお釣りが出てくる・・!?

僕は、恐る恐る
2元札を入れてみました。

「・・・・・・。」

あれっ!?うんともすんとも動かないんですけど・・・。

運ちゃんの顔を見上げると、運ちゃんはジェスチャーで

「行ってよし!」

いや・・、あの・・、そりゃーぁ、行って良いとは思うんですが、僕のお釣りの方は、どーさせてもらったら良いでしょうか・・・?

と、もちろんそんな上級の中国語が出てくる訳もなく・・・。
よくみりゃー、この運賃箱は、
日本のバスの機械式とは違ってほぼ、賽銭箱モデル

簡単に言やぁー、
ただの箱・・・。

うすうす気付きながらも
超希望的観測で入金した僕が馬鹿だった・・。

という事で、泣く泣く
2倍の運賃を払いながらも宿に辿り着く事が出来ました。


宿に着くともう夕方近くだったので、同じ部屋の日本人と晩飯を食べに行く事にしました。

ここの食堂では、割り箸がちゃーんと
ビニールの入れ物に一つ一つ包装されています。

そうです。中国の料理屋では、高級〜庶民向けレストランを問わず、割り箸は
新品で全てビニールで包装されているのです。

なので、僕のお箸箱はこの先、一度も
スライドされる事なく、ただただ、ガチャガチャと音色を奏でる楽器と化していたので、音は聞いても、帰国までその影を見る者は誰一人としていませんでした。



上海散歩




僕はこの後、
成都まで鉄道で行ってからチベットに飛ぶ予定でした。中国の鉄道は、12億人もの庶民の足なので、
めちゃくちゃ混みます。予約しに行っても4日後から1週間は取れないというほどです。僕は4日後のチケットを買うことが出来ました。

なので、出発までプラプラと3日間過ごすことになりました。


僕が、ブラブラ
歩道を歩いていると、

「ビーッ!ビーッ!!」

と、後ろの方で音が鳴ったので振り返ってみると、
原チャのおっちゃんにクラクションを鳴らされてしまいました。

ここ、歩道ですが・・・。 

次の日、またまたブラブラと
歩道を歩いていると、

「ブーッ!ブーッ!!!」

と音が鳴ったので、振り返ってみると、今度はなんと
乗用車でした。



ココ、歩道アルヨッ・・・!!



 道を歩くと興味を引かれる物ばかりです。大通りには、
鉄コン筋クリートの大きなビルが沢山林立していますが、その一つ内側の家は、ボロボロでお父さんが裸で麻雀をしています。まるで、張りぼての大都会

南京東路という歩行者天国のメインストリートを歩けば、若者達で、大賑わい。まるで、大阪のアメ村感覚です。

 綺麗なお姉さんが、店頭でなにか万博のコンパニオンみたいな服装と、若井こずえの様な帽子を被り、手には白の手袋をして販売をしているので見に行くと、

単三の乾電池が10本程、そこに仰仰(ぎょうぎょう)しく陳列されていました・・・。



さてさて、上海に来た大きな目的の一つ
「食が万里を超えるか?という検証です。

まず、道を歩いていて食堂の表でモクモクホクホクと湯気の立ち込めている
セイロが目に付きました。おじさんに、フタを空けてもらうと、大きな大きな肉まんです。

これは、あの
ジャッキーが初期の作品で修行中によく口にくわえていた肉まんです。それにしても大きい。僕の顔の半分はあろうかという大きさです。

僕は、ジャッキー気分でカプッとカブリつきました。さすが、この大きさだけあってまだ
具が見えてきません。そして、この肉まんの白い皮の部分は、口の中のかなりの量の唾液を吸収してきます。

その後、さらに2、3口食べ半分は到達したのに関わらず、
具が出てこない・・・。

そういえば、ジャッキーが具を食べてるシーンを見た事がない・・・。

そうです。これは、
「肉まん」ではなく、「まん」だったのです・・・。

そうして、僕はもう喋れないくらいに
口の中が脱水症状になりながらも完食しました。

次は、
ラーメンです。そばの食堂に入り、牛肉麺と言うのを注文しました。

微妙な味です。今まで日本でお目にかかった事が無い味です。

はっきり言って
湯の中に麺が入ってて、その上に牛肉、味噌と、香菜(パクチー)がのっかかってます。とんこつや、鶏ガラといった



ダシ・・・、一切無し!!



中国の
ラーメンは、駄ー目ンでした・・・。




僕の最後の希望の灯火・・・餃子。いや、ここは
無類の餃子馬鹿として、あえて専門用語を使わせてもらいます。


ざぎょー!


ざぎょーまで、美味しくなかったら僕は、なんの為に中国まで来たのだろうか・・。中国三千年の歴史上積み上げてきた食文化とは一体なんだったのだろうか・・。

お願い、食の神様!僕を助けてください。

そんな心持ちで、食堂をあたりました。






・・・って、どこにも売ってないし・・・。





餃子は、中国語で
チャオズと読みます。中国では、チャオズといえば、天津飯の相棒では無く水餃子の事です。
焼き餃子は、鉄鍋と書いて、グォーテーと読みます。

なので、王将では、餃子一人前の事を「イーガー コーテル」とアナウンスしています。

中国では、水餃子がポピュラーでグォーテーは、

「昨日の余った水餃子が、食べたいけど、皮がちょっと硬くなっちってるから、焼いて食っちまうか!」


ってな感覚で、
リサイクル的役割で使われるのです。






実証1  食は萬里を超えないっ!!






上海散歩2



一人旅・・・。


広辞苑をパラパラとめくって調べると、そこに定義が書いています。

一人旅・・・・・誰も供が無い旅、つまり、
ちょー暇な状態


もちろん飯を食ってる時も、プラプラ歩いている時も誰ともしゃべりません。中国語も全く喋れない僕としてはかなり辛いのです。
特に、シャべラーとの異名をとる僕なので、なおさらです。

あんまりにも暇なので、三国志くらいの興味しかない中国史ですが
博物館にでも行ってみる事にしました。

古銭に目をやると本当に古い歴史があるのが、素人の僕でも感じる事が出来ます。そして、各時代ごとにマイナーチェンジしていく様子が面白かったりもします。

その
古銭を、順に見ていくと、



殷(商) 紀元前16世紀−紀元前11世紀 から始まり、

西周 紀元前11世紀−紀元前771年

春秋 紀元前770年−紀元前476年

戦国 紀元前475年−紀元前221年

紀元前221年−紀元前206年

西漢 紀元前206年−紀元8年

東漢 紀元25年−紀元220年

三国 紀元220年−紀元265年

西晋 紀元265年−紀元316年

東晋 紀元317年−紀元420年

南朝 紀元420年−紀元589年

北朝 紀元386年−紀元581年

紀元581年−紀元618年

紀元618年−紀元907年

五代 紀元907年−紀元960年

紀元916年−紀元1125年

北宋 紀元960年−紀元1127年

南宋 紀元1127年−紀元1279年

西夏 紀元1038年−紀元1227年

紀元1115年−紀元1234年

紀元1271年−紀元1368年

紀元1368年−紀元1644年

紀元1616年−紀元1912年

中華民国 紀元1912年−紀元1949年

中華人民共和国 紀元1949年− まで続きます。


と、やっぱし、中国の歴史は古いので、古銭を見るだけでも
かなりの時間と労力が必要になってきます。

その後、古代の玉器を見たり、明、清時代の家具を見たりで、どんどん
僕の目が肥えていくのと同時に、限界を知らせるカラータイマーピコピコと、点滅し始めます。

そして、次は歴代王朝の
印鑑です。順に見ていくと、

やはり、

殷(商) 紀元前16世紀−紀元前11世紀  から始まり

西周 紀元前11世紀−紀元前771年

春秋 紀元前770年−紀元前476年

戦国 紀元前475年−紀元前221年

紀元前221年−紀元前206年

西漢 紀元前206年−紀元8年

東漢 紀元25年−紀元220年

三国 紀元220年−紀元265年

西晋 紀元265年−紀元316年

東晋 紀元317年−紀元420年

南朝 紀元420年−紀元589年

北朝 紀元386年−紀元581年

紀元581年−紀元618年

紀元618年−紀元907年

五代 紀元907年−紀元960年

紀元916年−紀元1125年

北宋 紀元960年−紀元1127年

南宋 紀元1127年−紀元1279年

西夏 紀元1038年−紀元1227年

紀元1115年−紀元1234年

紀元1271年−紀元1368年

紀元1368年−紀元1644年

紀元1616年−紀元1912年

中華民国 紀元1912年−紀元1949年

中華人民共和国 紀元1949年−


ここに来て、だんだん足が疲れてきて、
カラータイマーの点滅がいちじるしく早くなってきました。

次は、書物がありました。くどいようですが、もちろん・・・!!


殷(商) 紀元前16世紀−紀元前11世紀

西周 紀元前11世紀−紀元前771年

春秋 紀元前770年−紀元前476年

戦国 紀元前475年−紀元前221年

紀元前221年−紀元前206年

西漢 紀元前206年−紀元8年

東漢 紀元25年−紀元220年

三国 紀元220年−紀元265年

西晋 紀元265年−紀元316年

東晋 紀元317年−紀元420年

南朝 紀元420年−紀元589年

北朝 紀元386年−紀元581年

紀元581年−紀元618年

紀元618年−紀元907年

五代 紀元907年−紀元960年

紀元916年−紀元1125年

北宋 紀元960年−紀元1127年

南宋 紀元1127年−紀元1279年

西夏 紀元1038年−紀元1227年

紀元1115年−紀元1234年

紀元1271年−紀元1368年

紀元1368年−紀元1644年

紀元1616年−紀元1912年

中華民国 紀元1912年−紀元1949年

中華人民共和国 紀元1949年−

と続きます。

遂に、
カラータイマーの音が激しさを増し、博物館中に鳴り響いています。

そんな僕の状況をよそに、展示物は、まだまだ、あります。青銅器、絵画、陶磁器、仏像、彫刻・・・。ets。


なんと、文物
2万点・・・!蔵書20万点・・!







ピコーン!ピコーン!!ピコーン!!!ピコーン!!!!ピコーン!!!!!



・・・・、ジュ、ジュ、ジュワーッチ!!


・・・僕は、博物館をあとにしました。



 寂しい時の中途半端な好奇心で火傷をしてしまった
プチ家出少女の様な僕は、今度は、日本でもその存在を耳にしてて、かなりの確率で楽しさを確信出来る
上海雑技団を見に行く事にしました。

同じ部屋の日本人の2人も同じ公演のチケットを買っていたので、今度は3人で一緒に行く事にしました。

入場料500円。
これでアリーナ席です。僕は、ドッキドッキです。公演が始まろうかという辺りで、僕の横には、
大量の日本人観光客が押し寄せてきました。
これは、ツアーの一部にも入っているくらい
メジャーなイベントなのでしょう。ますます、期待が膨らみます。


開演すると、もう僕のハートをしょっぱなから、猛烈に鷲づかみ!すごいっ!!すごすぎます!!
僕は、目の前の
柵にしがみつきもう釘付け!!500円の価値・・、
超越してます

そのショーとは、

人の肩に、人が立ち、その人の肩の上にまた、人が立ちその上に人人人。

まさに、
人柱・・・!!

僕は、
惜しみない拍手を送りました。

少女は、色んな物を重ねて置いた上のバランスの悪い高い場所で、
しゃちほこの様に、背中を反らせ、自分の頭の上で足でリフティング・・・!!

手が痛くなってきましたが、
拍手を送り続けました。

こんな
ウルトラCを2時間くらいオンパレードです。

なんなんでしょう。この人たちは、しゃちほこの格好でボールリフティングなんて、確かに
実生活には100%役にたたないであろう超雑技ですが、人間技を超越してます。

最後は、一人のおじさんが出てきて、
おでこの上にカクテルグラスを一つ乗せました。
その上に、
おぼんを一つ乗せてカクテルグラスを二つ、また、おぼんを乗せてカクテルグラスを3つ。

もうおじさんは、バランスを取るのに必死です。


と、思いきや、さらにおぼんとグラスを交互にして、4つ、5つ、6つ。と乗せていきます。
もう僕の方が、手に汗握り、息を飲むのもためらってしまう状況です。

その後、おじさんのおでこの上には、キラキラと輝く
カクテルグラスの逆ピラミッドが高くそびえたちました。

ここまでくると、もはや感服です。上海雑技団・・・。本当に来てよかった。おもわず目頭が熱くなるのを感じました。

そんな折、会場にチャララーと音楽が流れ始め、アシスタントがバランスを取るのに必死なおじさんに
一本のマイクを持ってきたのです。

僕は、一体何が始まるのか予想すら出来ませんでした。あんなすごいものをおでこに乗せてトークでも始まるんでしょうか??


すると、おじさんは
右手にマイクを持ち、左手を大きく広げ、満面の笑みで、さぞ得意気に





「しぃらぁかぁばぁ〜ぁ、あおぞぉ〜ら、みぃなぁ〜ぁみかぜ〜♪」


千昌男の北国の春
・・・

突拍子も無く・・・、

何の脈絡も無く・・・、

熱唱しだしてしまいました・・・。


日本人が多いのは分かりますが、これは、やりすぎです・・・!!

完全に、


オフサイド、

蛇足、

裸の王様、

小さな親切、大きなお世話!!!


以外の何物でも無く、
僕の熱気は、
急冷却さてしまい、それまでの緊張感、脱力感に変わってしまいました。

そして、隣りの日本人観光客の団体の方を見渡すと、やっぱし、
北国の冬クラスのさむ〜い空気が辺りを漂っていて、今までで、一番寂しい拍手となってしまいました・・・。




帰りに3人で夕食を食べました。そこに、お洒落なご夫人がいらしたので、
マーシー並に、こっそり写真を取らせてもらいました。