|
初めての盗難アジア 〜後編〜
「バンコクは世界で一番パスポートの紛失が多いところなので気をつけて下さい。」
と言う大使館のおじさん。
あくる朝、僕はパスポートを再発行する為に、日本大使館に来ていました。
手続きは案外簡単で、盗難証明書と紛失したパスポートのコピーを提出し、書類を記入して、約一万円程を支払うだけでした。
また、再発行までの期間は、一週間くらいを覚悟していたのですが、ラッキーな事になんと4日だというのです。
これは、僕がいざという時の為に持っていた紛失したパスポートのコピーがあったからだと思われます。
もしコピーが無かったら、大量の日本人のデータから、僕本人の洗い出し等から始まって時間がかかるのだとか・・・。
備えあれば憂いなしとはまさにこの事でしょう。
ただ、この4日間、特にする事もなく、全ての持ち金は、ウォンさんからお借りしてるものなので大っぴらに遊ぶ訳にもいかず途方に暮れていました・・・。
何しよかな・・・・?
すると、宿に誰かの忘れ物とおぼしき、セパタクローのボールが一つ置いてありました。
よしっ!
僕はそのボールを手に持って、表へ飛び出しました。
隣の家のタイ式マッサージ屋に向かい、マッサージ師のオヤジが、暇そーに座って客待ちをしてるので強引に表に引っ張り出してきました。
また、その隣りの宿屋の兄ちゃんもやっぱりボーっとしてるので連れ出して、宿の旅人にも声を掛けて、6人でリフティング大会を始めてみました。
マッサージ師のおっちゃんと宿屋の兄ちゃんは客が来ると抜け、客が帰ると輪に入り、見学人も巻き込んで、4日間もの間、みんなで朝も昼も夕も無く、ひたすらリフティングに文字通り明け暮くれていました。
日の明るいうちは、みんなで、熱いリフティングに情熱を傾け、日が暮れるとみんなで、冷たいビール瓶を傾け、旅や人生について語り合う。
おかげで、あっと言う間の楽しい4日間でした。
そして、いよいよパスポートが出来上がる日です。
大使館にて、5日ぶりのパスポートと対面した僕は、早速アメックスへと向かいました。
アメックスのオフィスは、ビルの高層階。
エレベーターから出て、冷房の効いたオフィスに入ると、僕より少し年上くらいのスタッフのお兄さんにトラベラーズチェックを紛失し、事前に電話で連絡済みだという旨を伝えました。
すると、僕を個室へと連れて行ってくれ、お兄さんは、またオフィスへ戻っていきました。
しばらくすると、お兄さんは一枚の用紙を手に持って戻ってきました。
手渡されたその用紙を見ると、細かい文字で英語の質問がびっしり・・・。
NAMEや、NATIONALITYの文字が見えるのできっと僕の個人情報でしょう。
また、この質問の量と雰囲気から、盗まれた時の状況等を記入するといったところでしょうか。
それにしてもすごい質問の量で、はっきり言って目がくらみそうです・・・。
恐る恐る用紙をひっくり返して、裏面を覗き込むと・・・、
やっぱり・・・・
ぎっしり・・・・・
詰まってる・・・。
一見して、最初の方の自己紹介はなんとなく判るんですが、最後の方の質問は全く検討もつきません。
「書き終わったら、声を掛けてね。」
無情にもお兄さんはそう言うと、僕をこの個室へ置き去りにして、もといたオフィスへ帰っていきました。
最初の方の質問は、旅をしていたらよく記入する機会のある、「名前」、「国籍」、「日本の住所」等なので簡単です。
カリカリカリ。
カリカリカリ。
カリカリカリ。
ペンがスラスラと動きます。
ムムム・・・・。
ムムムム・・・・・・・。
4分の1くらい埋めたところで、途中からペンがピタリと止まってしまいました。
「やっぱり判らんっ!!」
この期末試験の英語の答案用紙と化した紙とにらめっこする時間が無意味にだらだらと過ぎ去って行きます・・・。
ただ期末試験と違うのは、まったく試験勉強をしておらず、知らない単語は、どんなに頭をひねっても出てこないのです。
試験時間も、制限時間が一切ない無制限一本勝負。
僕がギブアップしない限り試験はエンドレスに続きます。
そうこうして僕の疲れ果てた前頭葉は、回答を導き出す作業から、現実逃避への道を模索し始めました。
もし、これをヤマ勘で書いたらどうなるんやろう・・・。
僕の身分証明の欄を間違えたら、身分詐称にでもなるんかな・・・。
盗まれた状況を既にウォンさんが電話で報告してくれているから、その内容と、全く違う記入をしたら・・・・。
トラベラーズチェックの詐欺になり・・・
そしたら、発行されないどころか、逮捕されるんちゃう・・・?
5日前にお世話になった警察に、今度はお食事とお布団付きでお世話に・・・。
やばい・・・、
これは全力で正解を導き出さねば・・・。
危機感は、期末試験と言うよりも、落第の再試験状態。
フル回転の前頭葉は、回答を次から次へと導き始めます。
ただ、この高いモチベーションとは反比例している・・・
限りなく正解率0%に近いであろう回答を・・・
カリカリ。
ムムム・・・・。
ポリポリポリ。
ムムム・・・・。
カリ。
ムムム・・・・。
ポリポリ。
カリ。
ムムム・・・・。
ポリポリ。ポリポリ。ポリポリ。ポリポリ。ポリポリ。
ポリポリ。ポリポリ。ポリポリ。ポリポリ。ポリポリ。
そうして、試験開始から1時間が経ちました。
明らかに、回答を書く時間より、頭を掻いてる時間の方が多くなってきました。
集中力は行ってしまったのです。
ピリオドの向こうへ・・・。
もうヤケクソになってきました。
回答用紙を持って、席を立ち、さっきのお兄さんに手渡そうと、ドアを開けた瞬間、
「おっ・・・!」
お兄さんがそこに立っていました。
「おっ!!そう言えば君、日本人でしょ?」
「はい。そうですけど・・・。」
お兄さんはニコニコしながら、クリアファイルに入ったさっきと同じような用紙を僕に見せてきました。
「日本人向けにこれ、ほら。」
お兄さんは、かなりクオリティの高いスマイルと一緒にクリアファイルに入った用紙を渡してくれました。
そのクリアファイルの中の用紙をよく見ると・・・、
たった今・・・、
僕が全身全霊で戦い抜いた・・・、
大量の質問の下全てに・・・、
ご丁寧に日本語訳が付いています・・・。
僕は、顔面をピクピクと引きつらせながら、お兄さんの顔をもう一度見上げました。
まだ全力でニコニコしています・・・。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
あのー、こんなんあるんやったら、初めから出してくれません・・・・。
もう書いちゃったんですけど・・・・。
1時間もかけて・・・。」
「・・・。ご、ごめん・・・・・。」
このかなりクオリティの高いだっふんだに、もう一度回答を見直す気力は消え失せ、そのまま答案用紙を手渡し、お兄さんもその答案用紙を持ってオフィスへ戻って行きました。
しばらくしてお兄さんは、また戻って来ました。
そして、その手には再発行したてほやほやのトラベラーズチェックが・・・。
あの回答が正解だったのか、あのお兄さんの温情なのか、この会社がいい加減なのかは、判りませんがトラベラーズが今、手元に帰ってきてくれたのです。
よし、次は航空券や!
そう意気込んだ僕は、早速、今回紛失した航空券の航空会社、大韓航空のオフィスへタクシーで向かいました。
実は、この航空券に関しても、嫌〜な噂を耳にしていたのです。
航空会社によっては、再発行が不可であったり、再発行時に正規の値段が必要だったりするというのです。
僕の航空券はHISで買った8万円の格安航空券なので、これを航空会社で買うとなると10万円を越えるのではないかという嫌な予感がします。
タクシーが大韓航空のオフィスの前に到着すると、おそるおそるドアを開けました。
そして、招かれたカウンターに座り、お姉さんに向かって
「帰りの航空券を失くしてしまったんです。9月28日の便なのですが・・・。」
すると、お姉さんは、いくつか質問をしてきました。
その後に、
「再発行代がかかりますがよろしいですか。」
ドキッ!
やっぱり、噂は本当でした。ただ、いくらかかるのか・・・。
僕は恐る恐る
「いくらかかるんでしょうか。」
とお姉さんの顔を覗き込みました。
すると、お姉さんが
「50ドルです。」
「オッケー!ノープロブレン!」
パスポート、トラベラーズチェック、航空券。
次々と僕の手元に命の親戚たちが帰って来ました。
そして、再購入したお腹の貴重品腹巻ベルトの中に導かれて行きます。
ただ、まだ行方不明で手付かずの親戚があります。
カンボジアビザと海外旅行保険。
ビザは、元々国境で何かあると不安だからと言う理由で、事前にバンコクのカンボジア大使館で取得していました。
ただ、国境でも取得出来るとの情報もあり、一日も早くカンボジアへ向かいたかったので今回は、その情報を信じ、国境で取ることにしました。
そして、最後に残った海外旅行保険証ですが、再発行の仕方が全く判らなかったので・・・・・、
最初から海外旅行保険に入ってなかったと思い込むことにし、心の中でひっそりと旅の無病息災をお祈りしておきました・・・。
カオサン通りへ戻った僕は、カンボジアのシェムリアップ行きのチケットを購入する為、前回も購入した旅行代理店へ向かいました。
チケットを購入した後、両替屋に行き、トラベラーズチェックをタイバーツに換金して、宿に戻ると、早速ウォンさんに借りていた1万5千バーツと、滞納していた宿代をお返ししました。
そして、深々と頭を下げて、カンボジア、ベトナム、中国、ラオスと回った2ヶ月後にここに必ず戻ってくる約束をしました。
翌日の早朝。
朝早く、まだフロントのシャッターも閉まっているので、昨日の晩、ウォンさんに言われたとおり、シャッターの隙間から、部屋の鍵を中へ放り込みました。
そして、1週間お世話になったハローゲストハウスに、くるりと背を向け歩き出しました。
ハローゲストが一歩、また一歩と遠ざかって行くうちに、ここに長く泊まっていた旅人が言っていた言葉がふと頭をよぎりました。
「ウォンさんはね。
10年来のタイ人の知り合いよりも、
昨日出会った日本人を信用するんだって・・・・。」
僕は、ずっとウォンさんの無用心すぎる程の優しさが理解出来ませんでした。
ただ、この言葉を聞いた時、今までにウォンさんは、本当に素晴らしい日本人バックパッカーの人たちと出会ってこられたんだと確信しました。
だから、本当は、ウォンさんは出会ったばかりの僕を信じてくださったと言うより、僕より前に出会ってきた日本人バックパッカーたちの影を信じておられたのでしょう。
はたして、僕もこの1週間でその影の1人になる事が出来たのか・・・。
また、これから誰かの影になれるのか・・・・。
そんな解けない疑問をバックパックいっぱいに詰め込んで、
僕の旅は再び動き出したのです。
初めての盗難アジア
終わり
|
|