上海ライフ 僕は、再び、浦江飯店に向かいました。 夏休みも終わりに近づき、帰国する学生が多くなってきたので、ホテルは、とても混んでいました。 なので、前回泊まった一番安い、900円のドミトリー部屋が満員になってしまっていて、1,500円の3人用ドミトリーに泊まることなってしまいました。 何度も言いますが、上海には、ドミは、ここにしかないので、客が溢れてくると、フロントの前にベットを沢山並べる事もあるらしいのです。 なので、少々高くなってしまいましたが、空いているだけでもラッキーでした。 荷物を置くと、すぐに、しゃーかのお母さん(上海〜成都編参照)に、無事に帰ってきた報告に行きました。お母さんは、僕の、無事を喜んでくれました。 が、僕が1,500円の高い部屋に泊まってることを聞くと、 「もったいない、そんな高い部屋に泊まってるん?うちに泊まり!一部屋空いてるし。今から、今日の分キャンセルしてきてあげるわ。」 と言って、素早く、僕をフロントへと連れて行ってくれて、フロントの人に強引に話をつけてくれて、強引に返金してくれました。それからの僕は、帰国する日まで、このご家族の部屋にお世話になることになりました。 それどころか、帰国するまでの、全食事をレストランでご馳走してもらいました。 でも、こんな居候ライフのままでは、申し訳ないと思い、いつも通り、お父さんとお母さんとしゃーかと4人で、ご飯を食べた後に、せめて自分の分だけは払おうと思い、思い切って言ってみることにしました。 「いつもありがとうございます。いくらですか?」 すると、お父さんが、 「んっ!?お前払うんか?」 「あっ、はいっ!」 「ほんなら、2万払えっ!!」 「えっ!?いやっ・・・、」 「払えへんかったらえらそうな事言うな・・・。」 ・・・・カ、カッコイイ・・・。 文太兄貴よりも言葉少なく、北方謙三兄さんよりも無骨で、落合信彦さんよりシュールで、ハードボイルドの塊の様なお父さんに漢(おとこ)を感じ、僕の目からうろこがこぼれてしまいました。 そして、僕の居候レジェンドは、これを皮切りに、怒涛のごとく始まるのでした。 ある日、お母さんや、しゃーかの友達の中国人のお兄ちゃん達が部屋にやってきました。はっきり言って、かなりの男前です。 彼の職業は、美容室のカットマン。それも、かなりの腕らしいのです。まさに、イケメン美容師。 今日は、オフだったらしく、友達と一緒に来てました。そして、みんなでボウリングに行こうという話になり、お母さんと、しゃーかと、彼と、友達と5人で出かけました。 タクシーに乗ったんですが、タク代は、お母さんに払ってもらいました。 みんなのボーリング代は、イケメンのお兄ちゃんにおごってもらいました。 ゲーム中、また、イケメンお兄ちゃんが、ジュースを買ってきてくれました。 ボーリング白熱して、汗をかいたので、みんなで、健康センターで汗を流す事にしました。 タクシー代も、おごってもらいました。 入浴料も、お母さんがおごってもらいました。 お風呂上りの、ビールとおつまみも、ご馳走してもらいました・・・。 帰りのタク代も、払ってもらいました。 と、全くお金を使わない日々。感謝の日々。楽しい日々。笑いに包まれた日々。 それが、僕の上海ライフでした。とっても充実した毎日でした。 こんなにもお世話になってしまったので、最終日に、僕はご夫妻と、しゃーかに少しでも、お返しがしたいと思いました。 ただ、恩返しといっても、翼の無い僕は、反物を織る事が出来ないので、大した事が出来きません。 なので、可愛い妹のようなしゃーかに、VCDを買ってあげました。 そして、この部屋には、僕、以外にも浦江飯店にいる旅人がいっぱいやってくるので、みんなでわいわい出来たらいいなぁと思い、僕が、お酒とお菓子を買ってくることにしました。 その夜はとっても盛り上がり、気が付けば、朝の5時でした。 せっかく、こんな時間に起きているので、街中でみんながやってる太極拳を見学に行く事にしました。 中国の太極拳は、朝早くから街中で沢山の人たちが、踊っているらしいのです。言ってみると、ラジオ体操のような感じです。 なので、しゃーかを連れて、さっそく行ってみる事にしました。 すると、噂どおりいっぱいの人で、びっくりしました。まさか、こんなに沢山の人たちがやっているなんて想像もできないくらいです。 町中が太極拳をしている人で、埋め尽くされています。 そんな人たちを見ていると、無性に一緒に舞ってみたくなってきてしまいました。 ただ、舞い方は全く判りません・・・。 しゃーかも、誘ってみると、典型的なちびっこらしく 「ええわー。そんなん恥ずかしいわー。」 と、遠慮しているので、しゃーかにカメラを預けて、僕一人でお邪魔することにしました。 ![]() もちろん、僕は、とーっても、気が小さいので、控えめに一番後ろに、ポジショニングさせてもらうことにしました。 (奥のほうにいる水色のTシャツ、11番を付けている素敵な好青年です。) 見よう見真似で、ワンテンポ遅れながらも、みなさんに続けて舞っているのですが、次から次へと、舞い方が変わるので、ついていくだけでも精一杯です。 ![]() (僕は一番後ろで片足を上げて翼を広げている素敵な好青年です。) 太極拳をしている人たちのグループは、沢山あります。色んなグループを見たいので、少人数グループの中にもお邪魔させていただく事にしました。 何度も、言いますが、僕は、気が小さいので、みなさんの一番後ろに、金魚のフンのようにくっついて舞っていました。 しかし、しばらく舞っていると、全員がくるりと回れ右をしてしまったので、僕が、一番前のポールポジションを陣取ってしまい、とっても恥ずかしい思いをしました。 ![]() (一番前で、パタリロのクックロビン音頭の様な姿勢の素敵な好青年です。) そして、プラプラ歩いていると、一人で舞ってらっしゃるお父さんを、発見しました。 太極拳は、団体で行うものだと思っていたのですが、珍しく一人です。みんなに溶け込めないシャイなお父さんなのでしょうか・・・。 一人で、さぞ、淋しいだろうと思い、お父さんと、タイマンで舞ってみる事にしました。もちろん、横目でお父さんの舞い方をチラ見しながらですが・・・。 ( 注: タイマン、それは、一対一で戦う事 花のあすか組より 抜粋 ) ![]() (僕は、左側で志村けんの変なおじさん音頭の様な姿勢の素敵な好青年です。) さらに、しばらく歩いていると、沢山の人たちが、輪になって太極拳を楽しんでいました。 その光景を見ていると、やっぱり僕も一緒に舞いたくなってきます。 でも、いつまでも、後ろに付いたりしてるような、引っ込みじあんでは、いけない。現状に満足していては、成長は望めない。 そう感じた僕は、今回は、思い切って、この輪の中心に行っちゃう事に決めました。 ただ、このミッションは、非常に危険です。みなさんの不審感や、不快感を買ってしまう恐れがあるのです。そうなってしまっては、みなさんと、楽しく太極拳どころではありません。 この危機を回避するには、入って行くときが最も肝心です。この瞬間に、成功するか、しないかが、決まると言っても過言ではないでしょう。 とにかく、楽しく、面白い感じで、極めて自然に、入っていく方がいい。不審感を感じさせてはいけないけど、はっきり言って、僕は、100%不純物無しの不審者以外の何者でもありません。 だから、ムツゴロウの仲間たちよりも、愉快な感じいっぱいで入って行く事にしました。 両手は、ひげダンス風に腰に当て、足は、小刻みに、両足を交互に10センチづつ小刻みに ♪ テケテケテケテケテケテケ〜♪ と進み、顔は、努めてスマイルで、ペコリ、ペコリ、お辞儀をしながら切り込んでいきました。 すると、周りのおじいちゃん、おばあちゃんがゲラゲラと笑ってくれました。中には、おったまげたおじいちゃんの顔もありますが、とりあえず、第一段階は、大成功です。 いざ、舞おうと思ったのですが、やっぱり、舞い方が、全く判んない・・・。 真ん中に、どっかり、君臨しときながら、あたふたあたふた・・・。 必死に、みなさんの真似をしながら、遅れながらも舞っていました。 と、向かいにいる、おばあちゃんが僕に、ワンテンポ速く、踊り方を示してくれました。 謝謝。おばあちゃん。 ![]() (僕は真ん中にいる素敵な好青年です。) こんな僕の姿を見た、ある中国人のおっちゃんが、しゃーかに話掛けてきたそうです。 「あいつは、日本人か?」 「そうやで。」 「あほやな・・・。」 「うん、あほやでぇ!」 帰国後 いっつも旅行に行く時には、バイト場で店長や、社長、おばちゃん、お得意さんの社長さん方に、餞別を5千円づつもらっていたので、僕はお土産を買っていました。 それは、上海の豫園をしゃーかと歩いていた時に見つけたはんこ屋さんです。 ここのはんこは、おしりが干支の彫刻になっていて、それに合わせて自分の名前を言ってを彫ってもらう、オーダーメードです。 それを、自分の分と併せてみんなのお土産の分を彫ってもらうことにしていました。 ただ、僕は干支の順番を知りません。うる覚えで、 「ねー、うし、とら、うー、ふじ、なみ、たつ、みー」 だったような気がするんですが、それ以降がどうしても出てきません。 さらには、バイト場の微妙な関係の人の年齢もうる覚えなので、みなさんの正しい干支のはんこを、選択することはとっても困難です。 店長だけは、兄貴と同い年なのでたぶん同じ干支だと判ります。残りの4人は、全く検討もつかないので、適当に選んでいました。 バイト場で、このハンコをみなさんに渡しましたが、残念ながら店長以外は、干支があってた人がいませんでした・・・。 次にお客さんで、とっても可愛がってもらっている社長さんの所にも、持って行きました。 すると、社長が、 「あっ!!俺の名前ちゃうで・・・。」 と、耳を疑うような事をのたまいました。 もしかして、あのはんこ屋が、間違えて、違う名前を彫ってしまったのでしょうか。 これは、干支を間違えたどころのレベルではありません。はんこで名前が違うなんてありえません。 床屋がボディーパーマと、パンチパーマを間違えてかけてしまった級の犯罪レベルです。 すみませんでは、すみません。 遠い上海の名前も知らないはんこ屋まで返品できるはずもなく。と、いうよりも、アジアでは、確認しない僕の方に落ち度があったのかもしれません。 あの時、しっかりと確認しておけば良かった・・・。 そんな気持ちを切り替え、とりあえず、この場はあのアホはんこ屋の非を存分に訴えて許してもらうしかありません。 そうしなければ、はんこの失敗だけに、僕にダメの烙印を押されてしまう可能性があります。 「えっ!!ホンマですか!?何て書いてあるんですか・・・ね・・・?」 「俺の字、村越(むらこし)になってんねん。」 「・・・・あれ、・・・・社長のお名前は、村越さん・・ちゃいました・・っけ・・・?」 「俺の名前、村社(むらこそ)やんけ!!」 「すいませーーーん。」 落ち度は、100%僕にありました・・・。 そして、社長の名前さえも知らなかった事実もこの事件で、さらけ出され、とってもいやーな空気の中、そそくさと逃げ出しました・・・。 この話をバイト場に戻って話をすると、店長が 「あほやなー、ほんなら、俺が直したるわ。もっかい、返してもらってきーや」 「えっ・・・!?店長直せるんですか・・・?」 「こんなん簡単やん・・・」 すぐに、僕は、社長にはんこを返してもらってきて、店長に手渡しました。 店長は、石の表面をヤスリで、削って平らにし、白紙に村社さんの名前を逆に書き、それに従って、カッターで、カリカリと彫り始めました。 完成したはんこは、僕らのはんこと、ほとんど変わらない非常に良くできた仕上がりでした。 この事件のおかげで、僕が、改めてアホなのと、店長は、喫茶店のマスターだけでなく、はんこ屋としても飯を食っていける事を確認出来ました。 帰国後、会いたい一人の人物がいました。それは、一緒にナムツォにいったM君でした。 旅の間、M君は、外国語学科中国語専攻だったので、中国の文化にも詳しく、色々と教えてもらっていたのでした。その内の一つに、中国の航空会社事情もありました。 「たおたんは、機内でのドリンク何頼む?」 「もちろん、ビールやで。」 「僕は、フレッシュジュース100%だね。」 「えっ、なんで??」 「実は、この中国では、ビールよりフレッシュジュースの方が実は、高いんだよね。だから、僕はフレッシュジュースを頼むようにしてるんだ。」 「なるほどー。M君は、なんでも知ってるなぁー。」 と、感心した僕は、当時、真似して、いつもフレッシュジュースを機内で頼むようにしていました。 ただ、今よく考えると僕らは、工作員でも何でもないんだから、航空会社相手にダメージを与えることに専念せずに、自分の飲みたい物を飲んだ方が、より満足できるんじゃないかということが、今になってようやく判ってきました・・・。 そんなM君は、僕と同じ大学で、さらに大学の近くに下宿にしていたので、遊びにいくことになりました。 懐かしさもあって、僕らのトークは、とっても盛り上がりました。 そんな時、Mくんが、 「実はさぁ、僕、中国で面白いVCD買ったんだ。見たい?」 早速、パソコンで見させてもらうことにしました。(VCDは、アジアにおける、DVDみたいなものですが、専用のVCDデッキか、パソコンでしか見られないのです) 画面には、中国人の女性が、ベットに横たわっています。 男が、2人揃って見て、面白い映像と言ったらやっぱり・・・。 ・・・・M君、グッジョブ!! ただ、画面の真ん中には、映画のエンディングの様に、文字が中国語で上から下に、流れているので、とっても邪魔です。 ただ、僕は、目をこらしてその隙間から、後ろの女性の行く末を見守っていました。 女性は、徐々に、まとっている衣服を脱ぎ始めます。 ゴクリッ。 唾液が、喉を、ほと走ります。 女性が、下着も外し、一糸まとわぬ、生まれた時のままの姿に・・・ なったっぽいのです。 なったっぽいと言うのは、実は、カメラアングルで、肝心の所は、見えてないのです。 しかし、だんだん、カメラが、胸の方へと、ゆ〜っくりと、近付いていきました。 ゴクリッ・・・。 再び、僕の喉に熱いものが通り過ぎて行きます。 さんざん、焦らされましたが、焦らされた分だけ、こっちも早く見たくなってきます。 そして、とうとう、み、見えるっ! そう思った瞬間。画面が、ガラリと変わってしまいました。 なぜかカメラは路上に切り替わり赤い車が写っています。 すると、中から80年代の工藤静香が、長い髪をなびかせながら出てきて ドアをバタンッ! と閉めました・・・。 ・・・・な、なんすか?、これ・・・。 と、キツネにつままれたような思いで、ぼーっと画面を見ていると、再び、画面が、ベットへと帰ってきました。 お帰りなさいまし!!焦らしすぎ!! そして、みたび、カメラが女性の胸へと近付いてきました。画面には、ふくよかなふくらみが見えてきた・・・。 こ、今度こそ!! と、僕がしびれを切らした、次の瞬間、画面が変わりました。 カメラは路上を写していてやっぱり赤い車が写っています。 そして、中からやっぱりでっかいイヤリングを付けた工藤静香が出てきて、 ドアを、バタンッ・・・。 「・・・M君・・・、なんなん・・・これ・・・?」 「これはねぇ、中国の性教育のビデオなんだ。中国は、とっても厳しいから、胸とかは、出せないんだよね。 真ん中に、流れてる字幕は、セックスの仕方を解説してあるんだ。」 紛らわしいもの見せるなっ!! やっぱり、根が工作員気質のM君は、自分のエロチシズムを殺してでも、僕をがっかりさせて、ダメージを与える事をチョイスしていました・・・。 ただ、なぜ、このビデオの自主規制に、工藤静香がドアをバタンッと閉めるシーンが、チョイスされたかは、中国4千年の歴史に問いかける必要があるのしれません・・・。 中国物語 完 ![]() ![]() |