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愛と巨費と、悲しみの行方・・・
(写真提供 豪志くん)
アーグラに着いたのは、2002年の正月元日の正午でした。
僕は、早速宿探しを始めました。すると、宿の前に看板が出ていて、そこにへたくそな日本でこうありました。
「屋上からタージマハルが見える宿 タージマハルホテル」
僕は、この宣伝文句の魅力に引きずり込まれるかのように宿に入っていってしまいました。
ただ、ここはウソの多いインドです。念のため、宿のおっちゃんに
「本当に屋上から、タージマハルが見えるの?」
と確認すると、
「あぁ、もちろん見えるよ」
と言ってくれたのでおっちゃんを信じる事にして、宿はここに決めました。僕は夕暮れ時に、沈む夕日が気品漂う純白総大理石製の愛の象徴タージマハルを赤く染める光景が見たくなったのです。
宿に入ると、どっから来たのかよく判らないインド人の兄ちゃんが、
「今晩飲みに行こう」
としつこく付きまとってくるので、
「はい、はい」
と軽くあしらっておきました。
そして、荷物を置くとすぐにタージマハルへと向かいました。この町は、タージマハルで有名ですが、逆に言うとタージマハルくらいしか見るところがないのです。
チケット売り場についた時、
「えっ〜っ!!」
僕は、驚きのあまり思わず声を上げて叫んでしまいました。なぜかと言うと、僕の持っている地球の歩き方とあまりに情報が違ったのです。
大きく違った事、それは入場料。
地球の歩き方では、
15ルピー(約45円)
で入れる事になっているのですが、今僕の目の前にある看板の料金は、
なんと・・・
960ルピー(約2900円)
なのです。
倍率 ドンッ!
・・・・・
50倍っ・・!!
はらたいらさんも、やる気が失せちゃうほどの殺人的な倍率です。並みの値上がりではありません。
もし法隆寺の1,000円の入場料が、ある日突然、50,000円になっていたら参拝に来た全てのじっちゃんばっちゃんは、おったまげて腰を抜かしてしまうでしょう。
で、この料金、よくよく見てみると外国人料金というものらしいのです。つまり、金を持ってる外国人からは50倍の料金をとって、インド人からは15ルピーをとるのだそうです。
この料金表を見て考えてると、だんだんと怒りが込み上げてきました。
インドに来てから、リクシャーや、ホテル、土産屋、みんなボってくると思ってたら、今回は、なんと国家レベルでボってきているのです。
まったくもって許せません。
「タージマハルとは、そこまでして見る価値のあるものなのか?
ここで2,900円を払って見ると言う事は、ボったくりインド政府の思う壺なのではないか!」
僕は、怒りを噛み殺し、僕はくるりと背を向けホテルに向かって歩き出しました。すると、周りのインド人達が僕に、
「お前は、なんで入らないんだ?」
と、聞いてきましたが、僕は
「なんで、インド人の大富豪が15ルピーで、日本の貧乏学生が960ルピーも払わなあかんの!?」
と、辺りに怒りを撒き散らしながらつかつかと足早に立ち去りました。
それにしても、まさかこんな時に役にたつとは思っていませんでした。偶然にしても選んで良かった。
タージマハルホテル!!
ホテルとは、名前ばかりのボロ宿ですが、屋上から見えるというタージマハル。
赤い夕日が純白のタージマハルをどの様に照らし、映し出すのか。
その光景たるや、間違いなく僕を魅了してくれる事でしょう。そして、ちょうど今まさに、夕日が沈み赤やけの真っ只中なのです。
宿に着くや否や、僕は、屋上へと急いで向かいました。期待を胸に、昼間からさんざんじらされたタージマハルがすぐそこに迫っているのです。
僕の足は、とても軽く飛ぶ様に駆け上がる事が出来ました。
屋上に着き、タージマハルの方角へと目をやりました。
しかし、どんなに探してもその方角にはなにも見あたらないのです・・・・。
強いて言えば、森がわんさか覆い茂っているだけです。
もしかして、嘘・・・・?
いやーな予感がしてきました。ここは、インドです。嘘、大げさ、紛らわしいは、日常チャイ飯事なのです。やはり一筋縄ではいきません。また、気持ちを戦闘モードに切り替えなければ・・・。
気を引き締めて周りを見渡すと、おばちゃんがいたので、問いただすと、
「そこのハシゴで登ったところから見るんだよ。」
と教えてくれました。
確かに、おばちゃんが指差した方を見ると、壁にハシゴが掛かっています。僕は、早とちりで勝手に取り乱してしまった事を恥じ、ハシゴに手をやり、足を掛け登り始めました。
登り終えた僕は、再びタージマハルの方角へと目をやりました。
「・・・・・あれっ・・・?」
やっぱり森が覆い茂っています。
が、よーく目を凝らしてみると、なにやら ツンッ としたものが覆い茂る木の上に出ています。
そういえば、テレビで見たタージマハルの一部分にそんなパーツがあったような気がしないこともない気もしますが・・・。
もしかして・・・・
森の上に見えるこれって・・・

の

ですか・・・・!?
確かに、タージマハルが一部でも、見えてるので、タージマハルホテルっていう名前は、看板に嘘偽り無しなのですが・・・。
ただ、それならせめて「タージマハル先っちょホテル」にして欲しかった・・・・。
その夜、僕は、このショックが大きすぎたのか、昨夜の夜行列車の疲れが出てしまったのか、熱を出して寝込んでしまいました。
そして、僕の部屋は暖房が付いていないどころか、毛布すら無いベットだったのでネパールで買ったジャンパーにくるまって横になっていました。
冬のアーグラはかなり寒いので、ジャンパーだけでは寒くて身震いしてしまいます。なので、せめて足をジャンパーから出さない様にして、少しでも体を冷やさない様にと、小さくカブトムシの幼虫の様な姿勢で丸まっていました。
そんな時、昼間に
「今夜飲みに行こう」
とまとわりついてきた兄ちゃんが部屋の前までやってきてドアを叩きながら何かを叫んでいます。
僕は、相手をするのもしんどいので、ずっと無視していました。寝ていると帰ってくれると思ったのです。
と、思っていたらしつこい兄ちゃんは、一時間くらいドアをノックし続けていました。
僕は、熱を出しながらこの寒い部屋でジャンパーにくるまって、変なヤツに付きまとわれながら、惨めな
un happy new year を過ごすはめになってしまいました。
その惨めさに、悲しさがこみ上げてきました。
凍てつくベットでブルブルと震えながらも、
「もう明日ここを発とう」
そう決意し、次の日、ジャイプール駅行きの電車に乗りアーグラを後にしました。
なので、僕にとってのタージマハルは、壮大なる愛の象徴でなく、玉ねぎの先端、もしくは、ちびまるこちゃんの永沢くんの頭みたいな物という悲しさの象徴になってしまいました。
追記
帰国した春。
就職した僕は、仕事終わりに行きたくもないのに、ママと言う名のオバさんがカウンターに立っている滋賀の場末のスナックにムリヤリ上司に連れて行かれて、しぶしぶ財布から10,000円を取り出そうとしている時、ぼんやりと、このタージマハルを回顧し、
「あの時、わざわざアーグラまで行ったのだから、2,900円くらい払っても、良かったんじゃないか・・・。」
と、心の中を後悔の嵐が吹き荒れていました・・・。
と言う事で、この事件は、今後語り継がれるであろう
THE 後悔 BEST3 IN MY LIFE
に堂々とランクインしたのでした。
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