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≪注≫この編のみ文語で書きたいと思います。
自分の事を「です。ます。」調で書いちゃうとなんか
「ヒロシです。」みたいな感じがするので。
ハイスクール
僕の高校は滋賀県の中でもトップ5に入るであろう田舎であった。
だから買い食いと言えば、決まったパン屋さんであったし、 電車も一時間に一本しか走っていなかった。
世間では、チーマー、茶パツ、ロン毛、ハイテクスニーカーが流行ってて
池袋ウエストサイドパークのドラマが人気があった頃、
僕らの高校は、さながら
ビーバップハイスクールだった。
前方に鋭利に突起した前頭部頭髪を持つヤンキー科のヒト(オス)は、
体育祭で、ハッピにサラシでメスの気を引こうとする。。
そして、世間ではルーズソックスが流行っていたけど、
うちの学校はクルブシソックス党が、がっちりと一党独裁を固めていたので、
ルーズソックス党の野党が政権を奪取するには、かなりの時間がかかった。
そのヤンキー科の溜まり場も、平○堂の三階の流行のゲームが一切無いミニゲーセンであった。
そして、滋賀でもほぼ北陸という場所なので、雪もすごく積もる。一週間くらい溶けないこともザラだ。
だから、地面からちょろちょろと、雪を溶かす為の水が出ている。
そのおかげで、雪は解けるのが早くなるのだが、道路上はぐちゃぐちゃ状態になる。
溶けなければサクサクと雪の上を歩けるのだが、ナマジ溶けてしまっているので、学校に着くまでに靴と靴下がびしょびしょに濡れている。
靴下の代えは持っていくが、靴は下校までに乾くのを、ただひたすら祈るだけであった・・・。
そんな2月のある日、僕は風邪を引き早退する事になった。頭がボーっとしていたので、急いで荷物をまとめて授業が終わるのを待たずして、駅へ向かった。
電車は、五分前に出ていた。
僕は、猛吹雪の中で一時間電車を待った。
早退して、余計風邪をこじらせた・・・。
ハイスクールライフ(番外編)
今年(2004年)、営業で課長とこの平○堂のレストランで、コーヒーを飲んだ。
京都市出身の課長は、戸惑っていた。
テーブルの上には、一ヶ月で一人利用するかしないかであろう百円のうらないボックス・・・
洋食レストランなのに、壁にはなぜか浮世絵・・・
しかし、課長を一番戸惑わせたのはレジの張り紙であった。
「誠に勝手ながら、来月より消費税3%頂戴します。宜しくお願いいたします。」
時が止まってる・・・。
去年、友人の勤める町役場のテナントでおばちゃん二人でまかなっている食堂で昼食を一緒にとった。
僕は、600円のステーキランチを頼んだ。社員食堂の様な所なので安い。
しかし、このかき入れ時のランチタイムに
まわりを見渡しても僕らしかいないし、出前をしている様子もないのに、出て来るまで30分もかかった。
この店の経営状態が心配だった。
僕のステーキランチが運ばれてきた。
ステーキなのにナイフとフォークがついてなかった。。
首をかしげながらも、試しに、ハシを入れてみた。
二つに割れた!?
そして、中に赤いニンジンと半透明のタマネギが・・・。
「こ、これ、ハンバーグやん・・・。」
そんな僕の言葉にかぶせる様に、おばちゃんは、言った。
「ごめんねぇ。
男の人には足りひんかなぁ。焼いてたら縮んでボリュームが無くってしまったの〜。」
別件について謝って欲しかった・・・。
その友人と一緒に、日曜大工センターに折りたたみ自転車を見に行った。車に積めると便利だし、おしゃれだし。
だから、実際にディスプレーされてるところよりも、折りたたんだ状態が見たかった。
ハンドルを曲げてみた。
硬くて折れない・・・。
二人で挑戦したが、全く曲がる様子もない。硬いのだか、やり方が間違っているのかも分からなくなり、店員のお兄さんを呼んでお願いした。
「あれっ、あれっ」と連呼しながら時間は過ぎていく・・・
僕らはここに居てもしかたがないので、店内を見て周ることにした。
10分くらいたったので、折りたためたかどうか確認しに行った。
と、そこでは、
お兄さんが、自転車のハンドルをガンガン蹴っ飛ばして曲げようとしていた。
「これって折りたたみじゃなくて、折れたたみ自転車やん・・・。」
その後、折れたたんだ自転車がおいてあったが、
とうとう彼には、折りたたみ方を聞く気には、なれなかった・・・。
ハイスクール(体育編)
僕の高校は、一人の体育教師Tが仕切っていた。
彼は、ウエイトリフティングアジア大会2位という実績を持つ筋肉の固まりで、ヤンキーにも恐れられていた。
彼のおかげで、残りの体育教師も威張ってよい校則になっていた。
そして、その授業は体育の授業というよりもある種、軍隊教育に近い感があった。
だから、僕は今まで体育だけがスクールライフで楽しみだったのだが、高校では一番嫌いな授業になっていた。
入学してから初めての体育の授業でまず体育教師は、シメに入る。
通常は、50分+10分休憩+50分の二時間授業なのだが、
休憩無しの110分間。立ちっぱなしで、声出しをさせられる。
まるで、魁、男塾!!
自己紹介をグランドの端にいる教師に大声で行う。そして、これは校舎内にいる先輩達にも聞こえるので恥かしい。
その後に、教師が
「じゃぁ、これからワシが、止めと言うまで1から数え続けろっ!!」
そして、グランドの向こう側にある店を指差し、
「あそこの店員さんが、出て来て振り向くまでや。」
と、さぶいアドリブをかます。
そして、みんなで数え続ける。
43まで数えあげた時、体育教師の「止め」が、入った。
体育教師一人の声<男子生徒40人の大声。
∴もちろん体育教師の声は、聞こえないっ!!
そこで、体育教師は大きく両手を振りながら、
「やめやめやめー。やめやー!」
やっと聞こえて、声出し終了・・・。
そして、体育教師は僕たちに向かってこう言う。。
「お前ら40人の声よりワシ1人の声の方が大きいやないか!!」
僕らは、この日本社会で「カラスは白い」と言える事の大切さを学んだ・・・。
となりのクラスで、この授業(捕虜虐待)をした時、友達のN君がぶっ倒れた。
焦った体育教師は、
「Nは、倒れるまで頑張りよった!お前らもNを見習え!!」
体育教師は自己責任問題をNの自己犠牲精神の健全性にすり換えた。
そんな僕らは、野球部、サッカー部、バスケットボール部、ウェイトリフティング部と、ほとんどの生徒が強制的に丸刈りであった。
ある授業で、体育教師の話を聞いていなかったウェイトリフティング部の友達に教師は、こう叫んだ。
「おぉいっ!!そこのハゲェ〜!!」
その言葉に、野球部の友達がすばやく反応し、
「えっ!?僕ですか?」
「違うっ!と〜なぁ〜りの〜ハゲじゃ〜ぁ!!」
僕らの社会科の教科書の国民の三大権利の項目には、
残念ながら基本的人権の尊重・・・という言葉は、見当たらなかった・・・。
僕らの高校の水泳は、紺の四角い海パンと、白い網キャップだった。つまり、小学生と全く同じである。
高校三年生になった7月のある日、僕は教室で授業を受けていた。
ふと、三階の窓から見えるグランドを見た。
そこでは、隣のクラスが体育の授業をしていたのだが、おかしくて吹き出してしまった。
後で隣のクラスの友達に聞いたのだが、当初の体育教師の連絡では水泳との事だった。
そこで、みんなはいつも通りに紺の海パンに白キャップで、プールに集合した。
他のクラスがプールに入っていた。
そう!体育教師の手違いであった。焦った体育教師は、ごまかす様に
「えー、今日のプールは、他のクラスが入っていたので、草引き!!」
草引きっ!?
体育教師には絶対服従と叩き込まれているので、彼らはすぐさま向かった。
真夏に虫や、蚊がわんさかいるに違いない草むらへ・・・。
彼らは、上着を着る事も許されず、白のキャップと、紺の海パンというほぼ裸で草むらへ強制連行された。
草むしりをする者もいれば、抜いた草の固まりを一輪車に乗せて運ぶ者もいた。
三階から見るその姿は、刑務所の囚人の様でもあり、アリんこの様でもあった。
授業終了のチャイムがなった!!
そこで、体育教師はしっかりと「アメとムチ」とを使い分けた。
7月という真夏に、草むらの中で、皮膚をほぼ8割強も露出し、
寄ってくる虫を追い払い、それでも草むしりを文句一つ言わず真っ当した!!
そんな尊敬にすら値する当時18歳の40名の戦士達に、
体育教師は、
「さぁ喰え!これがお前達へのアメだ!」
と言わんばかりにこう言った。
「よしっ!!シャワー浴びて来い♪」
「僕の授業でなくて良かった・・・。」
という安堵の気持ちと共に、
僕らは、ムチなんかで打たれた人は、アメなんかで喜ばない事も確認出来た・・・。
スクールライフ 大学受験
僕らの学校は、8クラスあるが3クラスが進学組で、5クラスが就職組だった。僕は、中学3年生の時は結構勉強していたから進学クラスにいた。
でも、高校に入って部活を目いっぱい頑張ったら、目いっぱい馬鹿になってしまった。
一年生の夏の勉強合宿では、三泊四日で朝の8時から学校の前の民宿に缶詰にさせられる。
就寝時間は最後の受かるまで終わらないサバイバルテストにかかっている
出来るまで寝れない。
さすがに午前0時になると妥協してもらえるのだが)
僕は、この合宿で2夜一番遅くまで残り、2冠王に輝いた・・・。
3冠王を逃したの理由は、、休み時間に隣のクラスの問題がリーク(情報漏えい)され、高得点でクリアしていたからであった。
でも、大学は絶対行くと決めていた。
三年生のたった1年間だけ勉強すれば大学で4年間遊びまくれると信じていたからだ。
この状況に危機を感じ、三年生になると目いっぱい勉強した。
先生達のお蔭で授業は、本当に楽しかった。
僕は超文系の人間で、中学の時から数学が大嫌いなので大学入試の科目は、国語、英語、日本史と決めていた。
しかし、僕らの学校では、そんな文系の人間にも数学3、数学Cまでやらせるという環境だったので、辛くて仕方なかった。
そんな中でも若いA先生は、大好きだった。授業中によく駄洒落を言って僕らを楽しませてくれた。
√5の平方根は、もちろん2.23620679・・・ですが、
先生は、
「富士山麓にオーム鳴くという意味が、やっと判りました!!
富士山麓(山梨県上九一色村)で、オウム真理教が泣くと言う意味です。」(この年に、サリン事件がおき、オウムが捕まった)
というなんとも時事部門のジョークから
サイン、コサイン、タンジェントの授業の時に
α(アルファ)、β(ベータ)、θ(シータ)を書いた後に、
黒板の端っこの方にパズー(天空の城ラピュタ)と書いたりするという
メルヘン部門まで網羅していた。
英語の中年のk先生も好きだった。いつもギャグばかり言っていて、授業で生徒が、間違った意見を発表すると先生は、
「はいっ!じゃぁ、この窓から飛び降りなさーい♪」
(教室は、三階)
と、必ず言う。
ある時、僕が常々感じている素朴な疑問を大好きなk先生にぶつけてみることにした。
「先生っ!!アメリカンジョークとオヤジギャグの違いは何でしょうか?教えて下さいっ!!」
と、手をまっすぐに上げて質問すると、それを教壇上で聞いた先生は、わざわざ一番後ろの席の僕の方へ歩み寄って来てくれて、
とびっきりのゲンコツという解答をくれた。
国語の先生は、かなりマニアックな中年女性で、芥川龍之介や、宮沢賢治の事を、友達でもないのに「龍之介」「賢治」と、呼び、授業開始の時に教室が散らかっていると、
「片付けるまで授業はしない!」
と、言って授業放棄し職員室へ帰って行く。大人になった今、考えれば、給料泥棒だった・・・。
ある日、陸上部のT君のHANESEの靴下が床に落ちていた。彼女は、予想通り激高し、その汚い靴下を手に取り、全員に向かって
「誰ですかぁぁ〜!!このハーネスの靴下は〜!!」
笑いをこらえるのが、これほどまでに辛い時もなかった。
まぁ、そんな甲斐があったのか、なかったのかで、第一志望の京都大学産業学部に入学出来た。

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