アメリカ合衆国



はじめに・・・



僕が、バックパッカーの門戸を叩いたのは、大学一回生の冬の事です。そもそも何故アメリカだったのか。

それは、中学、高校の英語の授業で


「アメリカ、最高っ!」


という
アメリカ至上主義教育のもとでもろに洗脳され、まさに僕はアメリカ真理教の第3サティアンの信者と化し、アメリカ映画をむさぼるように鑑賞し、海外=アメリカとの図式をしっかりと構築していました。

そして、高校の時の友人の留学先であるオレゴン州ポートランドへと、これまた高校の友人
K君と遊びに行く事にしました。







荷造り



僕の兄は、大学で探検同行会というのに所属していました。そして、兄も数回バックパック旅行をしていたので、
70リットルという大容量のリュックを借りる事にしました。

で、このバックパックというのが結構高いのです。

相場は、
2万円前後もします。

当日、K君は
高校の通学に使っていたリュックサックをしょっていました。

しかも、まだかなりの空きが・・・。

初海外にしては、かなりの
荷造り名人です。

いや、そんなはずはない。きっと、
ピクニック気分だったはず・・・。





初フライト


僕らは、
滋賀県民。S・I・G・Aーシガ!!

町を歩いていて外国人に出会う事なんか、まずありません。英会話を話す機会など学校以外では、全く無かったのです。

ですから、ノースウエスト航空の飛行機内が初めての英会話と言う事になるのです。
初めてスッチーと話すのは、
ドリンク配布の時です。後ろから、徐々にスッチーが近づいて来ます。

もちろん
僕のノミの心臓はパンク寸前です。



そして、スッチーの姿が見えた瞬間、僕は静かに
英語データベースからダウンロードを開始しました。


ピピピ。

「
コーラは、コークと発音する。」

ピピピ。ダウンロード完了。

そして、スッチーの押す
ドリンク台が隣に来ました。

僕は、

「
コーク、プリーズ!!」

と大きめの声で発音しました。

ところがどっこい、スッチーは、
日本人で、

「
はぁ!?」

と失笑しながら一言。

僕は、

「
あの〜、コーラで・・・。」

と一転、小さな声に・・・。

僕の
初フライトは、海へと急降下、そして、海のモクズと消えました。







乗り換え


シアトル空港からポートランド空港までは少し大きいセスナで向かいます。
その為に
乗り換えが必要でした。

しかし、空港内の移動の勝手が
全く判りません。インフォメーションセンターに行っても英語がほとんど聞き取れません。

チケットの
○時○分boardingに印をしてくれました。再び僕のデータベースからダウンロード開始。


ボード→板→発着電光掲示板+ING→動詞の進行形→動詞

   =電光掲示板の下で立っている

このように緻密な計算が瞬時に行われました。
近くにあった
掲示板の下で、二人は直立不動のまま、ボーディングタイムがくるのをひたすらまちました。

そして、その答え合わせが始まったのは、ボーディングタイムになってからでした・・・。


( BOARDING TIME = 飛行機に搭乗する時間 )





勝負


その後、なんとか空港まで辿り着き、友人に空港まで迎えにきてもらいました。三人で散歩してると
ストリートバスケをしている三人組がいました。
中、高校と
バスケ部のK君は血が騒ぎます。
そして、友人に仲間にいれて欲しいと頼んでもらいました。


K君は
一人でコートの中に入っていきました。
4人でチームを決めていましたが、どうやら1対3の特別ルールでした。K君はそれを確認する為に、必死に


「1対3? 1対3?」


と、思いっきり日本語で相手に質問していました。


やがて、勝負が始まりましたが、男は、


「
アイ アム ア マン! アイ アム ア マ〜ン!」


と向こうも訳の判らない叫びを発しながらプレーしていました。

この勝負、
ある意味互角でした・・・。





グランドキャニオンへ


しっかりとポートランドを満喫したので、僕はアムトラックという鉄道でグランドキャニオン(以下GC)に行くことにしました。
しかし、K君はその友人のお兄さんから、


「
GCは、丸三日見てても飽きない」


と聞いたので、

「高くても飛行機で往復して、少しでも長い間GCを見ていたい」

と、がらにもなくロマンチックな事を言い出してしまいました。困ってしまいましたが、では別々にという事にしました。

しかし、K君の英語は僕を遥かに凌駕する程に
下手くそカタカナ英語なので、一人で行けるかが心配です・・・。

高校の時の英語の先生が外国人の先生を連れてきた授業の時に、英語で
同じ意見を三回も発表させられたあげく、二人共とも理解出来ずに結局は、日本語で発表させられていました。


英語の授業なのに・・・。

そのような背景があり、K君は出発日が近づくに連れて段々と現実味が増し、恐怖心が募って来たようです。

そして、前日に、とうとう
カミングアウトしてきました。


K「なぁ、かっこう悪い事言っていい?」

僕・友人「ん!?何〜?」

K「俺、たおたんと一緒に行きたい。死ぬんいやや。」

なぜ、死ぬのかがよく分かりませんが、いっぱいいっぱいなのはかなり伝わってきます。

しかし、友人は、からかい半分に

友人「お前は、ホモか??!!」(笑)



と全く訳の分からないつっこみをすると、必死なK君はまともに反論しだし、




K「ホモでもいい!!

  ホモと死ぬんやったら、ホモを選ぶっ
!!」(大爆笑)

僕は、ホモを選んだ訳ではないのですがこうして二人は、一緒にGCを目指す事になりました・・・。





アムトラックにて


僕たちは、少しづつ英会話に慣れてきました。そして、通じるとなると、俄然楽しくなってきて、k君は、僕が寝ている間にフィリップというメキシコに帰る途中のおじさんと仲良しになり、二人はずっと話し続けていました。

しばらくして、フィリップが、

「
K!写真、いいかい?」

すると、K君は
喜んでカメラを受け取り、フィリップの肩を抱き寄せました。
そして、カメラを高く掲げて
二人に向かってシャッターを切ろうとした時、なんとフィリップは、

「
NO!!」

と言って、K君を
突き放しました。

すると、K君は何かを理解したようで

「O、OK・・・。」

と言いいながら、


フィリップのみ
を撮るカメラマンに変身していました・・・。

あのK君の
悲しそうな背中がしばらく僕のマブタに深く焼きついて離れませんでした・・・。

しかし、そんなことではくじけないK君はその後、少ししゃべっていたおばちゃんと記念撮影をして、帰国後、

「
アメリカで第二の母に出会った」

と周りの友達に自慢していました・・・。



とても、強い人です。


ベーコンエッグサンドイッチ


サンフランシスコを満喫し、ロスへ向かう途中。
車中のインスタント食品に飽きた僕らは20分くらい小さな駅に停車したので、少し離れた場所にある
ベーコンサンドイッチの売店へ。
アメリカのベーコンは、カリッカリに焼く。

それがまた
すごく美味しい。

しかし、
たった20分しかない停車時間です。

あまり悠長にしていられません。そんな僕らの気も知らない
職人気質旺盛なオヤジは、ラスト5分になってもベーコンを焼くのを止めません。


「俺のベーコンは、カリッカリでねぇと客には出せねぇ。」


という
オヤジの魂が今にも聞こえてきそうでした。
当然の事ながら僕らの全ての荷物は電車の中にあり、遅れるという事は
死すら感じさせる状況です。

どんなにせかせても聞く耳もたず、結局、オヤジの魂がベーコンに注ぎ入れる事が出来たのがとうとう
発車2分前でした。

それから、そのベーコンをパンに挟み始めます。ベーコンサンドを受け取った後は、言うまでもなく
猛ダッシュです。

この左手に、ベーコンエッグサンドを持ち、全速力で走る二人は
誰よりも早く、また、誰よりも格好悪かったに違いありません。






ロサンゼルス

正式には、Los Angeles スペイン語。 英語では、THE ANGELS.この町は、アメリカが、メキシコから戦争で勝ち取ったのです。だから、この名前もスペイン語、天使って意味ですよね。でも、みんなロスって呼ぶので、この町を「その」って呼んでるんですよねぇ。



ロスに向かっているとき僕達は、座席の上にinfant(幼児)として張り紙がされているところに、すいているのでこれ幸いと、大きな顔をして座っていました。

その恥ずかしい二人に親切に教えてくれた男性
h君となかよくなりました。老けていますが、話してみると同じ19歳。

出会う日本人から

「卒業旅行ですか?」

とよく聞かれると言います。

そして、h君はロスから旅行を始めて帰る途中というので、彼の泊まっていた宿に帰る事にしました。


夜の十時
に駅到着し、そこからリトル東京(小さな日本人街)の前のホテルに

「
今日は歩いて帰ろう」

と言われ、そのことに何の疑問を持たない僕らは快諾!

歩いて向かいましたが、後から聞いた話によると、
ロスはアメリカ1危険な町。
駅の周辺はそのロスの中でも結構危ない地域ということで、ある意味自殺行為だったということを言われました・・・。



そして、次の日三人で1日楽しく遊び、もうその日に僕らは次の街に向かう予定だったので、最後にリトル東京で日本食を食べて別れようとなったのです。

ラーメン屋の名前は、著作権侵害スレスレの「
幸楽」です。K君はかつ丼を注文し、僕とh君は別の物を各々注文しました。

そして、h君は僕らに
何を注文したかを聞きました。それは、僕らの列車の時間が迫っていたので、、最悪料理が出てくるのが遅くなったときに、代金をあらかじめ預かっておいてくれて、さっと店を出れるようにと、細かい配慮してくれたのです。

しかし、そんな
繊細な空気を読めないK君は、すごいニヒルな顔つきで、h君にこう言ってしまいました。


「えー!もしかしてかつ丼食べたかったんちゃうんー?」


と、そのK君のつっこみの的の外し具合は、東京フレンドパークの

タワシ
に命中!!

どころではなく、

それは、

関口宏の額にダーツが刺さった級の代物ものでした・・・。           

そして、僕らは、グランドキャニオンにたいした感動をもらう事もなく無事帰国した。

しかし、僕にとってはK君に襲われることもなく帰れたのが
なによりであった・・・。











最終話



アムトラックというのは、本当によく遅れます。それは、単線だからです。ですから、一つの列車が遅れるとなると、全ての列車が遅れてしまうのです。

GCのあるフラッグスタッフ駅でも
、

当初
20時に来る予定だったのが、構内放送で、

「遅れておりまーす。
22時の到着でーす。」

と、流れたので、夕食をリッチにステーキを食べに出掛けました。
そして、22時ぎりぎりになってしまったので、
走って戻ってくると、

「遅れておりまーす。
午前1時の到着でーす。」

と、構内放送が。これは時間の潰し方に困ります。近くの暇そうな紳士を捕まえて、おしゃべりをしたり、地球の歩き方を隅から隅へと目をやりました。
そして、やっと午前1時を迎えました。早く来て欲しい。早く眠りたい。

しかし、
無常にも・・・。



「遅れておりまーす。
午前3時の到着でーす。」


もう、どうでも良くなってきました。

ぼっーーーーーとしてました。




そして、列車は
午前3時になっても来ません!

もう、どうでもよいので、確かめる気にもなりません。








そして、
午前5時にようやく、

「えー、ようやく列車が
参りましたーー。」

の構内放送でみんながゾロゾロと重い腰を上げてホームへ向かいます。


そして、どこに
参っていたのかは、判りませんが、

結局、列車が来たのは、それから







1時間後の
午前6時でした・・・。





この列車は、ゴーストにでも呪われているのでしょうか??

さらに、ロスまで行く道のりで・・・。

走行中に踏み切りを突っ走って越えてきた暴走車に側面を、








思いっきり激突されましたっ!!




それによって、かなりの時間停車していました。僕らは、缶詰状態で、一歩も外に出れません。

そして、
日本野次馬 友の会代表の僕らは、窓にへばり付いて外の様子を伺うことしか出来ません。

すると、10台くらいものパトカーがサイレンを鳴らしてやってきて、映画でみるあの斜めに滑りながらのブレーキングです。

空からは、
救急用のヘリがバタバタと砂煙を起しながら降りてきます。

「か、かっこいい!」

そして、被害者は、迅速にヘリで運ばれて行きました。

この呪われたゴースト列車のおかげで、あんなにかっこいいシーン(被害者の方すいません。)を見れ、さらには、食事が二食もサービスされるというラッキーに出会い、昨日の夜の悪夢を忘れかけていました。


しかし、この事件のおかげで、列車はさらに遅れたので、
ロスの駅に着いたのが、また真夜中です。


明日の乗り換え列車は、朝早いのでこのまま駅のベンチで眠ることに
しました。
(この時ロスは、危ないって知りませんでした。)

木の椅子なんですが、なんとも寝にくいのです。そんな折、K君が売店の裏から
ダンボールを見つけてきました。

で、その上に寝てみると、



かなりのクッション性です!!



そして、ダンボールを羽織ってみると、



かなりの保温性です!!


そして、二人は、長居公園の
ホームレス顔負けの


ダンボール オブ 安眠グッズにより、午前0時半に就寝する事ができました。

昨日からベット(今日も違うけど・・・)で、寝ていなかったので、
僕の眠りは、ことの他
深いものでした。



朝の3時半くらいに、隣のK君が何か堅い物で、僕の肩を叩いてきます。
僕は、この深い眠りから呼び戻すK君を少しうとましく思えて、

軽く無視していました。それでも、K君は、しつこく呼んできます。


「たおたん!!たおたん!!」


僕は、少し
機嫌が悪くなり、

「ぅんんん!?
何っーーー!!??」



と、K君のいる
右の方を見ると、お巡りさんが、警棒で、
僕の
肩を「とんとんっ」と、叩いていらっしゃるじゃありませんか・・・。


「
な・な・な・なんでしょうか??」

すると、K君が僕に

「地面で寝たら、
あかんらしいわ。椅子で寝ろって。」

お巡りさんに、
退去命令を出されたので、おとなしく従い、
再び、椅子で眠る事にしました。


そうして、ダンボールを片付けようと
左を見ると、そこには、









大きな
黒人の御本家のホームレスさんもご一緒に
お休みになられています。


警官の方達も
御本家は、起さずにまた見回りに去っていかれました。




僕達もそんな
御本家が、目を覚まされない様に、勝手に持ち出してしまったダンボールをそっと片付け、椅子の方へと静かに帰らせて頂きました。






そうして、僕らは他人のシマを勝手に荒らした事を深く反省しました・・・。









         アメリカ物語�T     
完











<特別編>

10年という月日がくれたモノ


それから、時は流れて10年後・・・。

29歳になった僕は、彼女と兄貴と兄貴の会社の先輩と富士山を助け合いながら13時間もかけて、登頂しました。

そこで、意気込み勇んで次は自転車で琵琶湖一周(190km)しようと盛り上がりました。

その話をK君にしたら、是非一緒に参戦したいと名乗り出てきました。

彼は高校時代、大学生時代に1回づつ琵琶湖一周にチャレンジしたらしいのですが、厳密には一周ではなく、およそ4分の3週目にある琵琶湖大橋を使用したので今回、みたびチャレンジして完全走破を達成したいと言うのです。


ただ、困った事にみんなの都合が合う日は、普通の土曜日のみ。

上京してきた僕は東京の中野区に住んでいるので、仕事終わりの金曜日の晩から、車で滋賀県まで帰ろうとすると7時間くらいかかるので、自宅に着くのは土曜のAM3時か4時くらいです。


琵琶湖一周と言う大きな壁の前に、さらに睡眠不足と言うさらなる壁も立ちはだかります。

なので、出来れば少しでも多く睡眠時間を取りたい言う希望を滋賀県にいる兄貴に提案すると、以下の様な取り決めになりました。











・実家をスタート、ゴール地点に定め、北周り。


・前回富士山に登った時に、兄貴の会社の先輩は、高校のラグビー部時代に出来たヒザの爆弾が炸裂し、相当ペースダウンを余儀なくされたので、兄と先輩は、アドバンテージを取って1時間前の5時に出発。
(兄貴達は、そのアドバンテージを取ってるにも関わらず、炎のチャレンジャーで、通常のチャリンコで一周しても何も面白くないと言い出し始め、小さいタイヤの折り畳み自転車で挑戦)


・僕と彼女とK君は1時間後の6時に出発。(K君と僕はサイクリング車、彼女はママチャリで挑戦)


・昼食は、ちょうど中間地点くらいにある長浜市の豊公園で合流して食べる


・全員でゴール、打ち上げ焼肉パーチー
(なぜか初対面である妹の彼氏が合流・・・)





と、決めてはいましたが、やっぱり朝早いので兄貴隊は、午前5時半と予定より30分遅れてのスタート。




そして、僕らは東京から夜通し運転して来て、実家に2時半に到着。仮眠を3時間とって、6時にやって来たK君と三人で、6時半と予定より30分遅れてのスタート。











久しぶりの自転車。


久しぶりの早起き。


朝焼けの美しさ。


頬をきる秋風。


いつも見ていた町並みが
ヒロ・ヤマガタの絵のように華やかに。


琵琶湖の湖面が
ラッセンの絵のように、煌びやかに僕らの目に飛び込んできた。

(
K君ブログから引用)





おしゃべり、写真撮影、休憩をふんだんに繰り返していた為、兄貴隊に追いつく気配はなく、琵琶湖の最北端で、11時頃を迎えた時、あるハプニングが起きました。


行き止まり!


もう一方の道は、奥琵琶湖パークウェイ(北琵琶湖を一望出来るドライブウェイ)。


また来た道を30分ほど戻るのも面倒くさいと思い、ドライブウェイを選択しました。


それは、本当に軽い気持ちでした・・・・。

すぐに、後悔の念が込み上げてきました。






なんであの時、戻らへんかったんやろう・・・・・





それから続く怒涛のアップダウンの雨あられ。琵琶湖を一望出来るくらいなのでめちゃめちゃ急斜面の上り坂を登り、たちの悪い事に、下り坂が始まり、また上り坂。


あとで出会ったサドルみたいなヘルメットをかぶった本格的チャリダーのお兄ちゃんにその怒涛のアップダウンの坂道の事を話すと、この道は、チャリダー業界では、「地獄道」と異名を取るらしく、かなりのチャレンジャーでないと通らないと言います。


確かに、ここに来るまでは、数多くのチャリダーとすれ違って来ましたが、結局この地獄道ではすれ違ったのは、たったの1人。


そんな地獄道で彼女はママチャリ・・・。



この地獄道では、この高い標高に体力が奪われて行き、、登りと下りの連続に精神力が擦り減らされていきます。


何十分かけて、やっとの思いで峠を登り切り、下り坂に心を許し、風を切って下っていると、わずか十数秒で下り坂が終了。

また数十分掛けて自転車を押し、また十数秒の連続です。。


次の坂道こそが本当に最期だろうと願い、信じ、裏切られ・・・。


こんな空しいサイクルが3時間続くのです・・・。






        (地獄道の一角からの風景)






ある峠を上りきった時、先頭を行くK君が、僕らの方へ振り返り叫びました。



「やった〜!!次はゆるやかな下り坂やで〜!!」




その言葉に元気をもらい、峠に着くや否や、はりきって自転車に乗り込み、ペダルをこいで疾走していました。


そして、しばらくすると彼女が僕に、ぼそっと話し掛けてきました。





「この道・・・・、もしかしてゆるい上り坂じゃない・・・?」




「嘘っ・・・・!?」




こぐのをやめると確かに自転車が止まります。




「ホンマや・・・。」





とうとう幻覚が見えてくる始末で・・・・。



道を間違えなければ、30分で通る道。
もう昼食場所の豊公園で兄貴隊に合流する事は不可能です。
なので、電話を入れ、僕らを待たずに、先を行ってもらう事にしました。

さらに、心が豪快に骨折してしまった、たおたん隊は、泣く泣く完全琵琶湖一周を断念し、琵琶湖大橋を使用する事を早くもこの時点で決意してしまいました。




3時間後・・・・。



なんとかかんとか地獄道を通り抜けた満身創痍の僕らは、地獄道以降、最初に見つけたセブンイレブンでジベタリアンになっていました。


いつもはバカにしてるジベタリアンですが、背に腹は代えられません。


それからのサイクリングは楽しさを求めると言うより自分との戦いでした。
そして、もう一つの戦い。



おしり VS サドル



朝の6時半から走り出してかれこれ、8時間。

おしりに激痛が走り、サドルにちゃんと座れないのです。まるで、おしりが二つに割れているかの様な激痛。


そんな時、K君に目をやると、耳にI-PODのイヤホンを入れて、さっきまで掛けていた黒ぶちの丸みを帯びた眼鏡が、今、スポーツタイプのサングラスに変わっています。



13年来の付き合いの僕には今何が起ころうとしているのかが、手に取るようにわかります。





K君は、
自己陶酔モードのトップギアに入れたのです。




やがて、心の回転数が8000回転をブッちぎったK君は、真っ赤な夕日を背中に背負いながら僕ら二人にに向かって言いました。








「俺・・・、

やっぱり、琵琶湖一周完全走破目指すわ!」









突然の宣戦布告に、僕らはあっけにとられてしまいました。ただ、よくよく考えてみるとK君が今回参加した理由は、琵琶湖完全走破。


前回、前々回の琵琶湖一周でも琵琶湖大橋を利用してるので、今回また琵琶湖大橋を使うと言う事は、彼にとっては敗北に等しいのです。


情けない事に、僕は憔悴しきっているのでK君に喰らい付いて行こうと言う情熱さえ失われていて、ただただ彼を笑顔で見送ることしか出来ませんでした。


不屈の闘志を再燃させたK君は、風の様な速度で走り出しあっという間に見えなくなってしまいました。


僕は彼女の目の前で1人の男として、K君に完全な敗北を喫しました。

恥ずかしくて彼女の顔を直視する事が出来ない僕は、ずっと下を向いてペダルをこいでいました。



ただ、これからまだ100キロ近くもあるので、あのK君の全力疾走の速度を持続するのは相当困難です。きっとどこかで、ペースが落ちるはず。

どこまでペースを落とさずに走り続けられるのか・・・。


僕は心の中で男としてのライバルK君に心からエールを送りました。

とは言うものの、現時点で敗者の僕が勝者の心配をしている場合ではありません。

彼女とギブアップだけはしまいと、励ましあいながら、ただただ一こぎ、また一こぎと地道なひとこぎを積み重ねる事のみに専念しました。



やがて日が暮れ始めだしたのですが、僕と彼女の自転車は借り物でライトがついていません。


道には外灯が無いところが多く、そこはでは真っ暗闇の地面を走り続けます。大きい石を踏もうものなら、確実に大転倒です。


恐怖と疲労との戦いの中、それでも僕らはこぎ続けたのです。


そんな時、兄貴から電話が掛かってきました。兄貴隊とは頻繁に電話し合い、互いの位置を確認しあったり、励ましあったりしているのです




「お前ら、今どこにいるん?・・・うん、・・・・・・・うん。

そうか。 分かった。で、みんな一緒で無事なんやな?」



「それがK君が・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」






「えっー!?マジで!!」






K君が地獄道を通ったにも関わらずもう一度、完全走破を目指し、兄貴隊に猛スピードで追撃している事を聞いた兄貴と先輩は絶句しました。


なぜなら、兄貴隊は身をもって自分たちとたおたん隊との距離を体感していて、さらに地獄道に3時間もかかって満身創痍なのを知っているからです。



兄貴は、先輩と、「K君に追いつかれてなるものか!」と、もう一度ふんどしを引き締め直し、出発当初とは比べられないほど、重くなったペダルではありますが、また力一杯こぎ出したそうです。



本当なら5人で一丸となって一周を目指すはずだった今日、この時。

当初の計画は大幅に狂ってしまい、バラバラの挑戦になってしまいましたが、おかげで見えない互い意識し、刺激しあい、いつも以上のパワーを出して、ゴールを目指す事が出来ています。





励まし合いながら彼女と築くパートナーシップ


互いを思いやりながら兄貴と固く結ぶ兄弟愛


見えない所で戦い合うからこそ生まれる先輩との信頼感


支え合って育まれる熱き友情、そこに含まれる少しの嫉妬が生み出す切磋琢磨の好敵手





このチャリンコ琵琶湖一周は、僕の心の新しい1ページを開いてくれました。
あの時、地獄道に迷い込んだからこそ得られたこの1ページ。





その後も僕らは、メールでお互いの位置をつぶさに確認し合いながら自転車を進めました。


僕が彦根市にいる時も、K君と兄貴に位置確認のメールを送りました。



しばらくして兄貴からの返信があり。



「今、守山市にいます。」



K君からも返信があり、



「今、彦根市にいます。」








んんんん・・・・???






僕は一瞬自分の目を疑いました。

あの疾風の如く駈け抜けていた勢いはどこへやら。

実はまだ同じ市内にいるのです。ただ、同じ市内といっても彦根市は広いので北端と南端なら相当距離はありますが・・・。



やがて近江八幡市に入り、コンビニでジュースを飲みながら休憩し、灯りの下で地図を見ていると、どうやらこの先再び分かれ道があり、もう一方は二つ目の地獄道があるみたいです。


この真っ暗闇の中、目標物も無く、遮二無二進んでいったら十中八九、地獄道へと迷いこんで行くに違いない・・・・。


今度迷い込んだら間違いなく、ギブアップ。


その危機感から前を通りかかったおじさんに道を尋ねました。




「すいません。この地図では、ここはどこになるんですか?」


「えーっと・・・・、ここやわ。ここ! で、あんたらどこまで帰るの?」



おじさんは、彼女のママチャリを見てるので、すっかり近所でピクニック的なサイクリングをしているものと思い込んでいます。


なので、今から琵琶湖の対岸の大津市まで行くと告げると絶句し、



「えっ!!


・・・・・・・・。 


絶対に今日中に帰れへんで〜!!」




と全力でおったまげていました。

そして地獄道の分岐点での目標物を尋ねると、その角にはファミリマートがあるので絶対に分かるとの事。




おじさんに別れを告げ、また灯りの無い道をひた走り、近江八幡市を走破寸前の時に、また二人に位置確認のメール送りました。


すると、兄貴からメールが帰って来ました。



「今、琵琶湖大橋近辺にいます。」



兄貴隊はかなり順調に進んでいるようです。

果たしてK君はどのあたりまで兄貴隊に近づけたのか。

すると、K君からもメールがやって来ました。



「今、近江八幡にいます。」





んんんんんんんんん・・・・???








K君は兄貴隊に追いつくどころか、僕らのすぐ近くにいます。

残りの近江八幡の道のりから推定すると、5分以内。


その時、携帯が鳴り出しました。目をやると着信はK君からです。
電話に出ると、K君は大声で怒鳴ってきました。





「あかんっ!」





きっとK君の逆鱗に何かが触れてしまったのでしょう。僕には全く心当たりがないので、その後を黙って聞くことにしました。









「琵琶湖デカすぎるわ!!」




「えっ・・・・?」



「今どこにいるん?


近江八幡市!?


すぐ近くやん!!





・・・・・・・・・



・・・・・・・・・



・・・・・・・・・




一緒に帰ろうや・・・・・・・。





えっ!?


完全走破??


やっぱ無理やわぁ☆


ほな、ファミリーマートで待ってるで☆☆」






ガチャ!




プープープーー・・・・・・・・・。




この志村けんも顔負けのだっふんだで、お腹がよじれて切れそうなほど笑いころげました。



そして、10年前のあの光景がフラッシュバック。


残念なくらい10年前から何一つ変わっていません。












K「なぁ、かっこう悪い事言っていい?」

僕・友人「ん!?何〜?」

K「俺、たおたんと一緒に行きたい。死ぬんいやや。」

なぜ、死ぬのかがよく分かりませんが、いっぱいいっぱいなのはかなり伝わってきます。

しかし、友人は、からかい半分に


友人「お前は、ホモか??!!」(笑)


と全く訳の分からないつっこみをすると、必死なK君はまともに反論しだし、



K「ホモでもいい!!

  ホモと死ぬんやったら、ホモを選ぶっ
!!」(大爆笑)









彼女も目に涙を浮かべながら、爆笑しています。

そして、あほやんジャパニーズを読んでいて、この10年前のだっふんだも知っているので、



「キャハハハー!


あー、おもしろい・・・!!


10年前からな〜んにも変わってへんやん!!


キャハハハー!!


ヘソで茶が沸くわ〜!

キャハハハハー!!!」



K君が、猛スピードで自転車をこいでいたのは、僕らの目の前のあの一瞬だけでした。

あとは僕らの5分前の距離で、僕らと同じくらいの低速を常に保ち続け、1人で孤独と戦いながら3時間も走っていたのです。

そして、きっとどのタイミングでこの話を投げかけようか迷っていたのでしょう。



一瞬でもK君に負けたと思ってしまった自分が恥ずかしい・・・。





さっきまで僕らは満身創痍で前に進むだけで精一杯だったのですが、K君がどんな顔をして僕らの前に現れるのかが楽しみで、不思議とペダルをこぐ足に力がみなぎって、どんどんスピードが上がっていきます。


念願のファミリーマートに着くと、サングラスから、また丸みを帯びた黒ぶちの眼鏡を付け替えたK君がツカツカとこっちへ歩み寄ってきました。




そのちょっぴり恥ずかしいそうな顔を見ていると、心の底から笑いが込み上げてきて、もう笑いを止めることが出来ません。


すると、K君は僕ら二人に向かって、驚くべき発言をしました。






「今回は、ホモでもいいって言ってないぞ!!

絶対言ってないからな〜!!」




このセリフがまた僕らをさらなる爆笑の渦へ巻き込んでくれます。本当に僕は笑いすぎて立っていられませんでした。


僕からは一度もホモの話はしなかったのですが、彼もやっぱりフラッシュバックしていたのです。

10年前のだっふんだを。




「ぎゃはははー。じゃぁ、次は、チャリンコでコケてみてやー。」




笑いのジュークボックスと化したK君に、今度は次の笑いをリクエストをしてみました。




「あほか〜!そんなんしたらホンマのあほやろっ!」




「ぎゃははははー」









そして、それから1時間後。


K君はホンマのあほになってしまいました。


真っ暗闇の中の先頭を走っていたので、歩道の縁石に全く気づかなかったらしく、ノーブレーキで思いっきり突っ込んだのです。

K君は宙を舞い、地面に叩きつけられました。自転車のフレームは、曲がってしまい、腕を痛打してしまった様で、のた打ち回っています。

場所が、場所で、真っ暗な国道の上でのた打ち回っているので、トラックや車が来たら間違いなく引かれます。早く起こしてあげないと、とても危険な状況です。


ただ、僕らも腹を抱えて笑っているので、それどころではありません。


K君は車が来る前に自力で立ち上がり、ハンドルが曲がってしまった自転車を起こしました。

笑いが収まった後、また3人で走り始めたのですが、僕らは笑い疲れてしまってもう力が出なくなってしまいました。


その後、宣言通り琵琶湖大橋を通り、どうにかこうにか自宅にたどり着いたのが夜の10時15分。


所要時間、延べ15時間45分。


そして、1時間後に、兄貴と先輩が折り畳み自転車で琵琶湖大橋不使用、琵琶湖完全走破という快挙を成し遂げました。


それから僕の実家で行われた打ち上げ焼肉パーチーは、美味しいお肉と、勝利の美酒と、K君ネタを肴に、とってもとっても盛り上がりました。









2日後の午後
・・・



東京へ戻った僕に1本の電話が掛かってきました。

K君からでした。

K君のおじいさんが1週間ほど前に亡くなられて、親戚からもらったお供えのお菓子が食べきれないほどあるので、打ち上げ焼肉パーチーでお世話になった僕の母ちゃんにおすそ分けしたいので、家に来てくれると言うのです。

現在、K君は就職浪人中なので昼間も暇なのです。

ただ、母ちゃんは働いてて昼間は自宅にいないので、携帯番号をK君に伝えました。

仕事を終えた夕方、K君と母ちゃんの両方から着信履歴が残っていました。

とりあえず母ちゃんから掛けてみました。

声がいつになく楽しそうです。


って、言うか、よく聞くと、なぜか笑いをこらえながら話してきます。



「プププププ・・・・。あんたK君から聞いた?」



「あぁ、聞いたよ。お菓子持ってきてくれたんでしょ。」



「そうなんやけど、お母さん帰り遅くなるって言ったらわざわざ、仕事場まで持って行きます。って言って車で来てくれたんやけどね。プププ・・・・

バックで駐車場に入れようとしたら、ププ・・


ツイてない事に、そこに自転車が停めてあって・・・。」



「えっ!? じゃぁ、、自転車を壊してしまったん?」



「ううん、自転車は全くキズ付いてないの。プププ・・・」



「じゃぁ、車にキズが・・・?」



「車も大丈夫なん・・・・。」



「えっ!?どういうこと・・・・・?」



「自転車が倒れて窓ガラスにぶつかって割れてしまっ・・・ぷぷぷ



ぷははははは〜〜!!



ツイてない事にその窓ガラスがめちゃめちゃ高くて、ガラス屋さん呼んだら、
1万2千円もかかって、K君払ってくれたん・・・ぷぷ

ぷははははははは〜!!」



そこまで、言うと母ちゃんは笑いを堪えきれずに爆笑しだしました。

僕も街中で電話越しなのにも関わらず一緒に大声で笑いこけてしまいました。




たかだか1000円くらいのお菓子を届ける為に1万2千円のガラス代を払ってくれるなんて・・・・。





さすがは、K君。


笑いの小エビで豪快に笑いの鯛を釣り上げてくれました。







電話を切るや否やすぐに、
笑いのプロフィッシャー K君に電話しました。

僕も笑いをこらえるのが、大変だったのですが、一応善意からお菓子を持って行ってくれた上に、責任を持って全額支払ってきてくれたので、とりあえず深刻そうに装って話かけました。




「もしもし〜、なんか・・・大変やったみたいやん・・・プププ。」



すると、K君もあまりにだっふんだを連発する自分自身に呆れ返ってしまっているらしく、哀愁漂う失笑交じりに言いました。






「ははは・・・。



やってもうたわ・・・。



ガラス1枚で、1万2千円やで・・・・。



俺、最近自分で抑えきれへんわ・・・・。





俺の中の笑いのモンスターを・・・。」








「ぎゃはははははは〜!!」













19歳の時から10年経て、現在29歳。

全く変わっていないK君。

また、この続きを39歳の時点で書ける事を切に願います。

2008年11月9日 曇り